人間はなぜ地獄しか作れなかったのか

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人間はなぜ地獄しか作れなかったのか。

おれはつねづねそう疑問に思って生きている。この世界で幸せに生きている人間など誰一人いない。まったくいない。人間が自分の手で作り出した地獄の中を苦しみ、もがき、絶望しながら息を吸ったり吐いたりしている。自分で息を吸ったり吐いたりするのをやめてしまう人間もいるほどだ。

偉大なる詩人である田村隆一はこう言った。「巨大なものはすべて悪である」。人間が作り上げてしまった巨大な組織、それは国家であり、企業であり、社会と呼ばれる総体。それとも、物理的に巨大なビル。なにもかもが悪で、悪に取り込まれて塗炭の苦しみの中にあるあらゆる人間が「後悔なんて時間の無駄だ、飲んで忘れろ!」と言いながら、ガンバルマンを飲んで記憶を飛ばしつづけている。この世には喜びも安楽もない。まったくない。本当にない。あるのは巨大なビルに入り込んだ巨大な組織で、それぞれの立場でそれぞれの人間は毎日のように血を吐いている。呪詛を吐いている。

人間はなぜ地獄しか作れなかったのか。

いや、そもそもその問い自体が間違っているのかもしれない。地獄を作り上げたからこそ人間などというものになれたのだ、ということだ。自らを霊長類などと名付け、地球の主人面するまで発展している人間。裸で放り出されたらジャイアントパンダのおめざとして食われるくらいのものでしかないのに、ここまでの存在になった。巨大な地獄の網で地球を覆って得意顔だ。

そう、すなわち、人間が他人に対して無限の悪意を持ち、あるいは完全なる無関心があり、人殺しの顔をしないで人が人を苦しめることが可能であることによって、この世がこの世になったのだ。考えてみよう、もしも人が猫だったら、巨大なビルもなければ会社もなかった。

でも、猫にも群れとか上下関係、強弱はあるかもしれない。しかし、その度合が猫とは大違いに大きかったから大きな存在となって大きな地獄を作った。そのような生き物は人間しかいないのだ。栂尾の明恵上人が「阿留辺幾夜宇和」といったところで、そのあるべきようは地獄造りが得意なフレンドに過ぎなかったということだ。

おい、もう人間やめようぜ。