おれは畦地梅太郎の名前すら知らなかった。あらためてべつに書くけれども、町田に用があるついでに、なにかないかと検索したら町田市立国際版画美術館というものがあり、そこで畦地梅太郎展をやっていた、のである。
とはいえ、サイトに載っていた山男の版画を見て、「おもしろそうだな」と思ったから行ったのである。
畦地梅太郎・わたしの山男 | 展覧会 | 町田市立国際版画美術館
畦地梅太郎は1902年に生まれて1999年に死んだ。1950年代から「山男」を描く(えがく……というのはべつに文章だろうが映画にだろうが使える言葉だろうが、しかし版画に使うとやや微妙な気がしてしまう。どうでもいいか)ようになった、らしい。「山女」も描いている。
で、そのなんというか、朴訥というべきか、プリミティヴというべきか、よくわからないが、なんらかの迫力とユーモラス感をもって山男たちが並んでいる。五百羅漢像を眺めているような気さえしてくる。こいつは面白い。
どうも畦地梅太郎は山の版画などについて「峰の数が違う」とかいう指摘にうんざりして、さらには「山男のモデルは誰か」などという質問にもうんざりしていたらしい。大胆な表現には、心の表現にはどうでもいいことだからだろう。だが、おれがすごく印象に残るのは、「指の数は違わない」ということである。抽象表現に挑戦した何作かを覗いて、手が描かれている場合、無骨に、大きく、形もリアルでない五本の指がそこにあるのだ。「指の数は違わないだろう」というくらいにだ。そこがなんとなくおもしろくなった。
そして、もう一つ、山男たちの脇役、あるいは友として描かれている存在があるライチョウである。そのライチョウが非常にかわいいのである。「畦地梅太郎のライチョウいいな」と思わない人はいないであろう。そう思っていたら、グッズ販売のところでライチョウが置物として売られていたので笑った。思わず買ってしまいそうになったが、置き場がないので買わなかった。
まあ、そんなわけで、畦地梅太郎の一端を知った。一端なのか二端なのかわからないけれど、ともかく気に入った。栞も買った。悪くない。町田近くの人は行ってみたらどうだろうか。