渡辺京二『評伝 宮崎滔天』を読む

評伝宮崎滔天

評伝宮崎滔天

 花や可なり。観を白雲と競ふ梢上の端となるも可なり。皎を白雪と争ふ狂花となるも亦可なり、但余に於ては是皆過去の一夢想に属す、豈に之を再びす可けんや、余や泥土に塗れる落花とならん哉

 孫文らを支援し辛亥革命に奔走した浪人、民権三兄弟の一人、見た目は豪傑……。だが、著者は滔天の自伝『三十三年之夢』の冒頭の「泥土に塗れる落花」をキーワードに、没落志向を持ったフラジャイルな人間として滔天を描いていく。そして、辛亥革命への関わり、失意、浪曲師への転身、再び革命へ、といった波瀾万丈の人生を読み解いていくわけだ。
 滔天の出発点として絶対に見落としてはいけないのは、まず西南戦争(著者は「明治十年革命」、「明治十年戦争」と書く。意味あってのことか知らん)で熊本協同隊を結成して西郷側について戦い敗れ戦死した兄の八郎の存在。敗れ去った第二革命の夢。
 そして、大江義塾で自由民権について学ぶが、「余が理想郷」とまで言うが、内心どうしてもなじめない。自らの持つ「先天的自由民権」が「山だしの水滸伝的時代おくれ」かを痛感しながらも、級友や師に対する抵抗感がある。そこに功名心や出世欲を感じてしまう。大将豪傑・賊軍謀反、官とは泥棒のたぐい、というところが滔天の根底にはある。功利主義にニセモノのにおいを感じてしまう。上昇志向に反感を感じてしまう。
 ここにまず滔天の根本がある。ただ、それはもう発展を続ける明治という時代にあっては豪傑自由民権は過去の遺物でもある。その根っこには「役と名のつくものは膏薬でも打ちこわせ」、「総て官のつく人間は泥棒悪人の類」という、明治初期の農民の持つ新政府不信がある、らしい。
 でもって、その滔天の「エートス」はどこへ向かっていくかということになるが、まあいろいろの遍歴を経る。ともかく、明治になって世界というか西洋から何世紀分もの思想がドバーッと入ってくる。このあたりは、帝政ロシア末期のロシアあたりと似ているかもしれない。でもって、そんな中に入ってきたキリスト教に一時は入れ込んだりするし、スウェーデン生まれの世界放浪ヒッピーのアナーキストに入れ込んだりもする。でも、やっぱりおかしいんじゃねえかってやめたりする。ちょっと後の世代になるが大川周明に見られる「安楽の門」へのあっち行ったりこっち行ったりに似てるかもな、とか思ったりもする。
 つーか、自由、民権、人権、なんでもいいが、そういう思想が入ってくる一方で、西洋列強ときたら圧倒的な文明力でアジアを植民地化し、アジア人を奴隷化してる。明治の人間がそこんところで一種混乱をきたしてもおかしくはねえと思うがどうだろか。キリスト教がいかに宣教しようとも、言ってることとやってること違わねえか? みたいな疑問生まれたりしてもおかしくはないんじゃねえかと。まあ、これはおれの感想。
 それでもって、まだ進学出世の定型のないころのこと、滔天も地元に帰ったり筑前玄洋社系と付き合ったり、いろいろ遊学するわけ。そんで、ハワイに行ってみようかと思ってたら、兄のwikipedia:宮崎彌蔵支那革命を言い出すわけだ。「綿羊のごとし」とされた彌蔵さんがだ。ロシアのシベリア鉄道完成の暁には、支那、朝鮮、そして日本がその毒牙にかかると。そのためには、まず日本の数十倍の国土と十倍の国民がいる清を革命させなきゃいけんし、今が好機であると。そのために腕力による自由民権社会実現を目指さなきゃならんと。そして、インドやフィリピン、アジア各国から世界へ革命をと。世界革命路線だ。国際根拠地論だ。それで、彌蔵自身がその国の人間にならなきゃいかんと、中国人の偽造身分を手に入れ、辮髪になって、横浜の商館で中国語を学んだりする。そこら不老町二町目のあたりにいたりする。著者は、この彌蔵の思想は、いわゆる大アジア主義の走りだとしながらも、玄洋社的なそれとは違い、あくまで革命の根拠地として論理的に中国を発見したという。そこんところで一線を画するという。
 で、滔天はこれに乗り、やがて彌蔵も死に、いろいろの挫折を経ながらもその夢を追い続ける。このようなある種の楽観主義は、長い鎖国の後に旧劇な世界との接触がもたらした明治の人間特有のものであると著者は言う。あるいは、滔天は後にふりかえって「世界風邪」と言う。『坂の上の雲』も楽観、楽観いってたような気がするが。
 でもって、この彌蔵の思想というか、行動は同志を選ぶ。まずは兄のwikipedia:宮崎民蔵に打ち明ける。しかし、だ。

「第一、主義を以て立つべき吾等が偽り称して支那人となることが道でない。第二、吾等の主義は日本でさえ徹底し難い。それを支那人に説くことは殆ど労して功なき業である」

 と断れれる。リアリストだ。でも、いろいろの同志を集め、金を集め、はじめて中国に渡って感動したりする。この間日清戦争があり、兄の彌蔵が徴兵逃れをするのを、母が身を震わせて激怒するエピソードがあったという。著者いわく、「これはイデオロギーの問題ではない。人は何によって生きるかという先祖伝来の生活の深所にかかわる問題である」という。ここで滔天はいい気な志士的行動を支える生活者の沈黙というものを思い知ったのだろうと。これは左右関係なく主義者とその家族とか、いろいろと出てくるテーマかもしらん。
 えーと、でもって、そんで、いちいち追ってくと切りがないが、孫文と出会い感銘を受け、犬養毅と出会い知らぬ間に犬養の中国工作に乗せられることになり、頭山満に心酔し……。結局いろいろのことは不首尾に終わり、人の裏切りやその和解役などを引き受けたり、内田良平(この人の評伝もそのうち読む)に酒席で鉢を投げつけられて眉間を割られたりする。
 と、大きな挫折があって、いきなり浪曲師に弟子入りする。この頃の浪曲師の地位は低く、河原者、乞食芸人あつかいだ。むしろ、滔天が弟子入りしたwikipedia:桃中軒雲右衛門が、逆に滔天の人脈から浪曲の地位を押し上げたといってもいい。まあ、ここに、著者は例の「落花」の心、滔天が持つ自己処罰の衝動を見るし、また伝統的な風狂の姿をも見る。しかし、いずれにせよこのどん底への一躍によってまた新しい生が開けたのも事実。
 ただ、見た目は豪傑で人を惹きつけるところがある親分肌の滔天、実は演説はからっきし苦手で、舞台に上ること自体が苦行そのものというのだからなんとも。ちなみに、明治三十七年に堺利彦らと滔天の口演を聞いた石川三四郎はこう書き残しているという。

 「芸は左程上手ではないが、彼が当年の意気を僅かに此浪花節に隠すかと思うて余は転た同情に堪なかつた」

 ただ、そんななかで頭山満のもとを訪れ、人がいろいろやかましく言うだろうが、自分は彼等が君に止めろというのも賛成、君がそれにうなづかずにやるのも賛成、僕は両方にも賛成しよう、てなこと言われて、滔天は「覚醒」したと記す。ほかの先輩同志が滔天の自己処罰的行為に憂心し、悲痛で陰惨なことのように見たのに対し、頭山は滔天が狂おうとしていること、それこそが解放であり救いであることを見ぬいたのだと著者。
 で、その「覚醒」とは、やはり支那の革命に客将として……なんてのは甘ったるいロマンティシズムとナルシシズムにすぎず、あるいは功名の心にすぎないと気づいたことであると。「大義の志士」ということ自体への疑いだ、と。
 そんでもって、まあ何とか東京に家を持ったりして、妻と子を呼んで落ち着くことになる。ただ、この妻である槌との関係もこういっちゃなんだか妙だ。槌は良家の出で、夫が家を空けて東奔西走するのも志あるものの立派な事業として理解し、たとい他の女性、ほとんどは商売女と同棲し、子供を作ろうとも陰ながら支えていたのだった。だが、夫が浪曲師になると上京し、中流市民生活に連れ戻した。すでに彼女自身の実家も傾いていたりしたが、ともかく、これ以上というか、これ以下に夫が落ちていくこと、望むべく「落花」になることを許さなかった。そして、そのある種の社会的名誉を望むところは滔天の嫌うところであって、彼女がその後も内助の功を発揮していく頭の上がらない存在でありながらも、なにかしらのわだかまりを持っていたんじゃないかと。
 ところで、ギロチン者の中濱鐵が公判で生い立ちをかたるとき、一時宮崎滔天のところにお世話になっていたというが、いつくらいのことだったかしらん。ほら、図書館で借りた本というやつ、手元にないからわからん。腹が立つ。まあ、買えないおれが悪いが。しかし、中濱鐵も親の金をくすねて中国に革命を見に行ったりしとるし、故郷の村は昔奇兵隊に焼かれたとか言ってたし、なにかしら通じるところがあるのだろう。というか、人脈的にはなんだ、なに経由か。しかし、なんだ、滔天は往時の左翼やアナーキストたちと接近することはなかった。主義主張は根っこのところで違えども、玄洋社黒龍会だった。
 って、まあ、家庭生活を持って革命関係終わりかというとそうでもなく、自著『三十三年之夢』が中国語訳され、それが日本に増えていた革命派中国人留学生の間で広く読まれることになり、世界を回っていた孫文の存在をそれで初めて知るものも多く、滔天のもとを多くの人間が訪れるようになった。黄興、汪兆銘、宋教仁……まあ、おれにはどっかで見たことがあるような名にすぎんけれども。それで、また、滔天はいろいろの派閥や人脈をつなぐ役目を受持ち、中国革命同盟会発足につながったという。そんでもって、若い中国人留学生との付き合いの中から新しい張合いを感じ、「革命評論」を発行することになる。その同人の一人に、北一輝も加わることとなる。
 ただ、著者いわく「革命評論」発行の顛末などを見るに、滔天に組織の才がまったくないと断ずる。人徳は余りあるほどあるが、戦略やその目的のための人選、集団的機能を持たせるに至る能力は無いと。これと対照的なのが内田良平であったと。

 滔天は内田のような実務家とはまったく異質な“夢みる人”であった。彼はその夢を実現可能な、明確に限定されたかたちに縮小させることがどうしてもできなかった。

 と。そして、政治的な有能者、勝利者は内田であり、無能者で失敗者は滔天だとした上で、それでもこれも一面の判断に過ぎないという。案外内田の方が小オルガナイザーで、中国人留学生から慕われ、北一輝みたいな怪物にもある種の敬愛の念を抱かせた滔天の方が大オルガナイザーであったかもしれない、と。
 でもって、著者いわく、「滔天は疑う余地のない天皇制の否定者だったのである」とのことだ。滔天の著書を読めば、いたるところに言い逃れ可能な言葉や天皇制言葉が散りばめられてるが、そうじゃねえんだと。このあたり、原著読んでねえからわからんけど、そうかもしらんと思わせる言い切りっぷりはある。そんでもって、日本・中国・アジア諸国をワンセットにしてヨーロッパ帝国主義に対抗するという内田的大アジア主義では「泥棒の提灯持か国家の幇間になる」と。利害の対立は国家の観念より生ずるのだと。内田たちに、黒竜会に下心や泥棒根性、帝国主義的野心があろうがなかろうが関係ない、滔天はそれを飛び越えているんだと。滔天は純粋な善意と義侠で、内田らがそうでないなんていう滔天論者は低レベルだ。……ってこのあたりの著者の気焔の吐きっぷりはすごい。滔天の『独酌放言』からこんな箇所を引用している(複数文字の踊り字は……横書きなんで引用者が勝手に繰り返して書きましたんでご勘弁)。

 芸者はいや女娘は醜ない、アツハツハーアツハツハー、僕なぞは其いやな醜ない処が好いよ。気味は貧民問題社会問題を云ふが、そりや皆虚だねエ。筆でも握つて新聞雑誌に其主張でも吹聴したまへ、僕は女郎芸者と手をとつて貧民乞食と露宿でもしようサ、君は社会主義を饒舌り王公将相と方でも並べて四頭立ての馬車競争でもやれ、こん畜生! ……僕に支那の王となれと云ふのかい、イヤイヤ僕は二蔵三助が王になる時でなければ王にならぬならぬ。なれるかい思ふてみよ、ベランメー。ナニ僕が君に支那の王になれと勧めたと、君は王になれるならなれ、僕は二蔵三助と其妻と其子供と万民と共に四海兄弟一視同仁の時代を待う、……噫々、ワシがおとツさんは川船の船頭ヨ嘸や寒からう川風にチヨンコチヨンコ。……君は其主義主張を宇宙に布て世界万民を安んじ玉へ、僕は二蔵三介と永く休戚を共にして君の救いを待たうよ。ナニ軽重大小など云ふ事は算盤珠の話ぢやないか。情の至つた処にはソンナ算盤珠の話はない。万民と情死するの心は即ち娼妓と情死する心だ。

 孫文を中国の王たらしめる思いはありつつも、一方で「二蔵三助」(……そこらへんの庶民、農民って感じか? ちなみに「三介」はママのママ、ところで「休戚」って言葉はじめて知った)から離れることをおそれ、娼妓と情死するところまで政治活動を下降させねばならぬという衝動。
 でもって、辛亥革命だ。よう知らん。北一輝の『支那革命外史』読みはじめたところだ。が、北はそこで日本浪人団をバッサリ斬り捨てているという。「天の執筆せるコメデーの脚本は日本浪人団の登場によりて申分なき名優を得たり」で、彼らの壮語も妄動も百害あって一利なし、と。もちろん、滔天もアナクロニックな存在としてぶった切られてる。
 ただ、著者は北の表現の中には滔天への敬愛が見え隠れしてるし、その後も好意的な関係は続いてるぜって指摘してる。大正五年に孫文とともに中国に渡ったときに滔天に法華経を贈ったりしてるという。また、日本浪人団批判においては一致を見るという。ただ、北と滔天の決定的な違いは、孫文=滔天の革命のインターナショナリズム的なとらえかたに対する北の批判にあるという。革命は国士の事業であって、他国の援助や国際世論の工作に求めちゃいけねえという。そういうインターナショナル志向は亡国的なもんにつながりかねない。「ナショナルな通路を経ない国際主義的思考が個別国家権力によって収奪される喜劇的帰結」。……とかこのあたりは、今後お勉強しましょか。まあともかく、現実的にはそうなっていってしまったと。
 で、晩年の滔天はといえば読書文筆三昧の日々を送り、「三千世界一度に開く梅の花」(←おれこのイメージ大好き)の出口なおの御筆先に夢中になったり(教団に対しては客観的で冷静だったらしい)、大宇宙教なる新宗教に帰依したりしつつ、大正十一年に死んだ。享年五十二。彼が日本の土俗的信仰の強烈さに触れ、夢中になるあたりなども興味深いが……まあそのあたりの著者の解釈もおもしろい。というか、北一輝の評伝もそうだが、かなり著者の色が濃い。あとがきで本人が「本書は伝というより論」という通りか。そしてまた、自分は同じ主題の演奏を繰り返しているともいう。まあ、なにかあたってみるか。そしてまた、あまり文筆家として顧みられることはないが、前にも後にもない独特の文体を持つという宮崎滔天その人の本にもあたってみようか、いずれのことながら。

>゜))彡>゜))彡

……このへん?
至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)

至福千年 (岩波文庫 緑 94-2)

……最後の方に「支配の尖端と最低部にあるものがある日こつぜんとその位置を交換するというグロテスクな幻想的光景」とか、千年王国みたいな話が出てきてこれが思い浮かんだ。これがどんなだったかよくおぼえていないのだけれど。
>゜))彡>゜))彡

……ちなみに、おれが読んだのは1976年発行の大和書房版だが、巻末宣伝に「大和書下し評伝シリーズ」とあって、本書、その横に『評伝 内田良平』滝沢誠とあって、その次に『評伝 北一輝松本健一とある。『北一輝』でむちゃくちゃにdisられてた松本さんの一人じゃねえか。まあ、あんま関係ないが。しかし、滔天は鼓腹撃壌のユートピアを夢見ていたというが、そのあたりは権藤成卿あたりとどうかなとか。「義人的旦那と共同体農民のコミューン」。そういや、滔天の剃髪をしたのは権藤成卿の故郷の友人武田範之だったとかいう話が出てたな。でも、回想録に「思想で相容れぬものがあった」とはっきり書いていたとか。