いつか大河ドラマに―『凛 近代日本の女魁・高場乱』を読む

凛―近代日本の女魁・高場乱

凛―近代日本の女魁・高場乱

 新しい大河ドラマについての話題で、おれはブックマークのコメントにこう書いた。

女性主人公、幕末、学園ドラマ要素ときたら、高場乱を主人公にするべき。

http://b.hatena.ne.jp/entry/236983226/comment/goldhead

 こう書いておきながら、おれは高場乱についての本を読んだことがあるわけではなかった。西南戦争玄洋社関係の本から名前を知ったくらいだ。あとはもちろんWikipediaだ。高場乱は幕末から明治にかけて生きた、男装の女傑である。ちなみに「乱」と書いて「おさむ」と読む。「乱をおさめる」という意味らしいが、キラキラネームとは言わんが、なかなかに難読というか、読めねえ名前ではある。

高場 乱(たかば おさむ、天保2年10月8日(1831年11月11日) - 明治24年(1891年)3月31日)は、江戸時代末期の女性儒学者で、医者、教育者。筑前国博多の人。幼名は養命。諱は元陽のち乱。通称は小刀。号は仙芝など。

 この人の何がすごいかといえば、のちの巨魁・頭山満大隈重信暗殺未遂で知られる来島恒喜、あるいは夢野久作が「近世快人伝」で描いた奈良原至が若き日に彼女の義塾で学んだということである。そこで儒学から自由民権まで叩きこまれた。玄洋社の生みの親と言ってもいい。
 で、どうでしょう、これはもう大河ドラマいけるんじゃあないですかね? 本書を読んでそのような印象を受けた。話は西郷隆盛から始まり、来島の自決、そして高場の死で終わる。ただ、高場その人の残した言葉、あるいは他人が書き記した言葉というのはあまり多くない。それゆえに、二次創作に適してるともいえる。男装の麗人といえばそれだけでかっこいいところがあるし、若き志士の面々などイケメン俳優だって揃えられるだろう。もちろん、幕末から西南戦争ほか士族反乱に大きく関わりもある。玄洋社のエピソードも事欠かない。いやあ、いけると思うんだけどな。
 ……って、玄洋社というあたりがあかんのかな。アジア侵略主義の右翼! とかそういうイメージが強いからあかんかな。惜しいな。でも、本書によれば高場乱はあまりテロルによって血が流れることを好まぬ人として描かれている。来島の事件を受けて手紙にこんなことを書いたらしい。

 古詩に老去悲秋強自寛、是等御推察下さるべく候。如何なる訳か、門弟毎に正直に流れ、匹夫の勇に落ち、愧で入り候儀諸国への聞え、甚だ残念に候也。
 御一笑に
   なからへて明治の年の秋なから心にあらぬ月を見るかな

 さて、どうだろうか? おれはなかなかにいいと思うんだけどな。まあ、別にどうでもいいか、大河は。それよりもなんだか九州(と大雑把な認識だけど)の力、玄洋社にしろ、渡辺京二にしろ、石牟礼道子にしろ、夢野久作にしろそういうものにどうも惹かれるところがある。九州方面にはなにかあるんじゃあないかと、北海道生まれ神奈川育ちのおれは思ったりするのであった。おしまい。

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……ちなみに、夢野久作は高場についてこう書いてる。

明治もまだ若かりし頃、福岡市外(現在は市内)住吉の人参畑という処に、高場乱子女史の漢学塾があった。塾の名前は忘れたが、タカが女の学問塾と思って軽侮すると大間違い、頭山満を初め後年、明治史の裏面に血と爆弾の異臭をコビリ付かせた玄洋社の諸豪傑は皆、この高場乱子女史と名乗る変り者の婆さんの門下であったというのだから恐ろしい。彼かの忍辱慈悲の法衣の袖に高杉晋作や、西郷隆盛の頭を撫で慈しんだ野村望東尼とは事変り、この婆さん、女の癖に元陽と名乗り、男髪の総髪に結び、馬乗袴に人斬庖刀を横たえて馬に乗り、生命いのち知らずの門下を従えて福岡市内を横行したというのだから、デートリッヒやターキーが辷ったの、女学生のキミ・ボクが転んだの候といったって断然ダンチの時代遅れである。時は血腥い維新時代である。おまけに皺苦茶の婆さんだからたまらない。

……来島の映像化というとこれか。