1月1日、目を覚ますと午後の4時だった。一歩も外に出ないで過ごした。話によれば雪が降ったとかいう。
2日はなぜか母親と弟と3人で焼肉を食べた。焼肉屋で焼肉を食うのは何年ぶりかしらない。
焼肉屋からは歩いて帰ることにした。Googleの経路機能を使った。
だいたい予想はついていたけれど、機械的な最短距離で指示を出してくる。見知らぬ路地のほそいほそい道を歩くことになる。
まあ、そういうのが嫌いじゃないのだけれど、あさっての方向に連れて行かれては困る。
いや、展望のない人生(最初「点棒のない」と変換された。あながち間違いとも言えぬ)、あさっての方向にでも連れていってくれた方がまだマシか。
しけた話しかない。まったく、どこもかしこも。
一年以上は一本も吸っていなかった煙草を一本吸う。こんなに久しぶりなのに、脳にクラっとくることもなにもなかった。
おれの煙草の持ち方は、左手の人差し指と親指で下からつまむ。じじいの吸い方だと言われる。おれが毎日煙草を吸っていたときからそうだったのかどうか思い出せない。
途中で、「この路地は前にも通ったことがある」と気づく。中村橋の方からどう山手の山を越えるか。徒歩ならばこの選択肢なのだ。たぶん、そのときもGoogleの地図を見て歩いた。
そのとき何台目のiPhoneを使っていたのか覚えていない。
1月3日は晴れていた。
桜木町で待ち合わせをして初詣へ行く。遅れるという連絡がある。喫茶店で待つ。本を持ち歩く趣味はないが、青空文庫は持ち運べるので、夢野久作の「父杉山茂丸を語る」、「創作人物の名前について」、「キチガイ地獄」の3編を読む。ここにきてiPhoneが速読に向くと気づく。
伊勢山皇大神宮。毎年のこと。
ただ、例年より参拝までの列が長かったように思う。そのわりにすごく混雑しているというわけでもなかった。
無事平穏な時。小さい苦労はありますが心配するにあたりません。たいていの事は、順調に運び、家庭内も明るい活気にあるふれる雰囲気となります。
独居のおれの家庭が活気にあふれたらおそろしい。それよりも、おれが抱えているものが小さな苦労だとすれば、おれはそうとうに弱い生き物なのだろう。
素直な心で物事を受け入れ、思いやりのある行動をとれる時なので、周囲の人々の信頼と好意が得られるでしょう。安心して微笑をもって進みなさい。
絶望の色眼鏡でしか世界を見られないおれが、素直で思いやりとは恐れいった。いや、いいんだ。おれは無事平穏であれば人畜無害で頭の薬を飲む必要もない人間なんだ。ただ、社会がそれを許さない。金のことで首の骨をへし折ろうと待ち構えている。
仕事 交渉 取引
小さな事はうまくいくが、ここらで内容を固める時。新しい事に手を出すより本来の仕事を守るべき。
だいたいおれの「本来の仕事」とはなんだろうか。なりゆきでかれこれ10年同じようなことをしている。なにかが手についたわけでもない、熟練もない、積み重ねもない。ただ、おれは「新しい事」が苦手なので、内容が固まるなら固まるで勝手に固まってくれればいい。
成田山横浜別院。いろいろあったので、桜木町駅から場外馬券売り場に向かう途中、セブンと居酒屋を過ぎて最初の角を曲がったあたりで仮営業中。
飯を食って、そごうに行く。タダ券があるというので展覧会を見る。バロックからバルビゾンまで。
そごう美術館『バロックからバルビゾンまで 山寺後藤美術館コレクション展』に行く - 関内関外日記
そしてスヌーピー。おれの頭のなかにはスヌープ・ドギー・ドッグの古いラップが流れ続ける。
屋上に行けば岡本太郎。
おれが小さいころ、このそごうは日本で一番大きいと話題になった。屋上では噴水の水が凍り、その欠片を子どもたちが投げ合って遊んでいた。エスカレーターで降りて行く。人、人、人。高いブランドものの売り場にも人が群がる。この世の中には、どこかに金があって、おれには金がない。わりと単純明快にできている。その明快さはもっと明快になっていき、やがておれはデパートに立ち入ることすら許されない人間になる。いや、今ですらそうかもしれない。正月は混んでいるから、たまたま見つからなかったのかもしれないってことだ……。