無重力の中で、鳥は

 午後五時、点々と佇立する防災無線からドヴォルザークが流れるころ、この麦の沃野、千五百秋の黄金色の海、夕焼けに照らされ、くたびれ果てた模範的労働者同志、錆びた農具それぞれ肩に担いで帰途につく影幾つ、星幾つ、かれこれ幾年月。くれぐれも革命的警戒心を途切れさせてはいけない、密告者のそれとわかる目配せ、乾いた土、ちぎれたスチールの空き缶、オレンジジュース追憶、2039年横浜市中区、はじまったのはいつか。
 自分ができないことをやらせるために払う金と、
 自分がやりたくないことをやらせるために払う金は、
 同じなのか、違うのか?
 人類史のはじまりのはじまり、誰かが誰かになにかを頼んだ、ちょっとしたことを頼んでしまった、代理、代行が生まれて、人間の世界はこんなことになってしまい、地球まで歪んでしまった。地に鳴く鳥あらず、空に飛ぶ鳥もなく、人類一話も完結せず、スタッフロール待ちつづけて惰性のプレイは続く、せめて人類は火星を目指すべきだったのだ。
 そして、無重力の中で鳥は。

スペースシャトル(無重力)の中で鳥を飛ばすと、どうなるんですか?
2001年3月に役目を終えたミール宇宙ステーションでは、飛べない鳥の実験の例があります。宇宙で孵化したウズラのヒナ(ひよこ)は、鳥かごに入ってました。鳥かごの格子をつかんで、不自由なく歩き回れると期待されていたのに、そうはいきませんでした。どこにもつかまることができずに、休みなしに羽ばたきながらバック転しつづけるばかりでエサにもたどりつけず、宇宙飛行士たちは、ヒヨコがうえ死にしてしまう前に安楽死させてやるほかなかったそうです。

 かわいそうなウズラ、かわいそうな子供、かわいそうな宇宙飛行士、人類必敗の歴史、いつか西の銀河からはじまりもなく終わりもなく、おだやかな寂光につつまれるときがくるまで。