『宇宙のローション腹すべり』(仮称)案

ボンネビル・ソルトフラッツ

 しがないテレビ制作会社のディレクター<おれ>は、ある企画のためにボンネビル・ソルトフラッツを訪れていた。その企画とは、世界のお笑い芸人を集めて、「ローション腹すべり」の世界一決定戦を撮るためだ。
 スタッフは<おれ>一人。参加する芸人は四人。日本代表のジンナイ(仮称)はすべてにおいて中くらいの芸人。女優である妻と別れたばかり。アメリカ代表のはマッチョなスタンダップコメディアンアルコール中毒であり、家族と問題を抱えている。フランス代表は数学者でもある大道芸人。それともう一人だれか。
 一夜の宴会を経てとりあえずは打ち解けた五人(登場人物紹介的)。いよいよボンネビル・ソルトフラッツでのローション腹すべりだ。<おれ>がこの企画に抜擢されたのは、自分でもローション腹すべりをしながら、迫力ある映像を撮るという技能のためだった。
 五人は塩平原を思い切りローション腹すべりする。圧倒的な速度、真っ白な世界。摩擦を無視して、五人は忘我の中、ひたすら腹すべりを続ける……。
オカモト・ペペ ラブ&ラバーズ 200ml

ローション腹すべり・ワンダーランド

 五人は気がつくと、ユタ州の州都であるソルトレイクシティのバーにいた。撮影はどうなったのか、記憶が曖昧だ。店から出ると、そこには驚くべき光景があった。街の人々がみな、ローション腹すべりで移動しているのだ。自動車も、電車もなかった。都市も建築も、すべてはローション腹すべりをもとに設計されていたのだ。
 呆然とする五人。携帯電話もネット端末も使えない。しかし、いつまでもバーの前に立ち尽くしてるわけにはいかない。かといって、歩いてどこかに行くわけにもいかない。なぜならば、歩いている人間など、どこにもいないからだ。
 しかたなく、五人はローション腹すべりをする。それを一人の男が見ていた。<興行師>(食わせ物だが、実はいいやつ)だ。<興行師>は目を見張る。この五人ほど力強く、速く、正確に腹すべりをする人間は見たことがなかったからだ。<興行師>はなんとか五人に追いつき、話しかける。「あんたら、プロの腹すべり選手にならないか?」。
 五人は困惑するが、この世界での味方が必要だと考え、承諾する。それから芸人の四人は、プロの腹すべりツアーに参加し、圧倒的な成績を収める。なぜならば、この世界の人間はほとんどの移動をローション腹すべりで行うため、五人の世界の人類の身体に比べると、著しく退化していたからだ。
 <興行師>に連れられて、五人は世界をめぐる。そこで、この世界ではいかにしてローション腹すべりが生まれ、発展してきたかを知る。ある国と国との大戦では、伝令にローション腹すべりを使った側が歴史的な勝利を収め、それ以後、戦争のあり方が変わった。また、ローション腹すべりにより、人類はお互いにすばやく、確実に意思疎通できるようになり、人類から戦争や貧困が取り除かれた、云々。そのために、もとの世界よりも政治的にも、文化的にも、科学的にもいくらか発展しているようだった。五人はいくらかユートピアのようにも思えるこの世界になじんでいった。
オカモト ぺぺ200ml

ボンネビル・アゲイン

 五人は、このローション腹すべり世界の生活に馴染みつつも、もとの世界に帰る方法も模索していた。それぞれの人生があり、望郷がある(それぞれの事情、人生)。
 やがて数学者でもある大道芸人フランクル(仮称)が、ある仮説を打ち立てる。すなわち、近々予定されている、地球の重力を利用した「スイングバイ・ローション腹すべり」のエネルギーを利用すれば、もとの世界に帰ることができる云々(むずかしい言葉、数式みたいなの)。
 「スイングバイ・ローション腹すべり」には、ローション腹すべりの高い技能が必要だ。そこに世界に敵のない四人と、それを撮影できる一人が手を上げれば、否定する理由はどこにもなかった。見事五人は代表に選ばれる。プロジェクトの目的地は火星。しかし、彼らの目的地は元の世界。
 が、ここでアメリカ人コメディアンがこの世界に残ると言い出す。
 「この世界で俺は英雄だ。この上ない名声と地位、もう貧しさに怯えることもなければ、いまいましい嫁と顔を合わせなくてもいい。おまえらはあの世界に帰って、みじめな売れない芸人に戻ればいい!」云々
 しかし、あの世界に戻るには、五人の力を合わせたローション腹すべりのエネルギーが必要だ。そしてまた、ジンナイ(仮称)はアメリカ野郎の本心も見抜いていた。
 「あんたはそうやって逃げているだけだ。その弱さで酒に溺れ、また逃げるはめになったんじゃないのか。俺は知っている、あんたはあんたの嫁さんをまだ愛しているし、娘も愛している。あんたをここに残してはおけない。あんたは俺みたいに後悔したまま生きてはいけないんだ」云々
 とはいえ、アメリカ人にも意地がある。頑として受け付けない。そこで<おれ>はある策を打った。すでに事情を察していた<興行師>に頼み(粋なやりとり)、「世紀の一騎打ち、ジンナイ(仮称)vsボブ(仮称)」の企画を世の中にぶちあげさせたのだ。この対決は人々の耳目を集めるのに充分だった(なぜならば、競技腹すべりは四人一組のチーム対抗で行われ、チーム内選手の対決は御法度なため。前章を見よ)。
 「ジンナイ(仮称)とボブ(仮称)で一騎打ちをするんだ。もしもボブ(仮称)が勝てば好きにすればいい。俺たち四人は火星に行ってでも自分たちの世界に帰る。ただ、ジンナイ(仮称)が勝ったら俺たちと来るしかなくなるぞ。一騎打ちで負けたやつが、いくらほかの雑魚に勝とうとも、もう王様ではいられないからな(そういう文化があるので)。また惨めな暮らしに逆戻りだ」
 決戦の舞台は言うまでもない、ボンネビル・ソルトフラッツ。勝負はジンナイ(仮称)が僅差で勝つ。あるいは、ボブ(仮称)が最後の最後でわざと負けたようにもとれる何か。「くそ、俺の人生も知らない間に腹すべりしちまってたってわけか」。ボブはふたたび仲間にもどり、帰還作戦に望む。

ぺぺ 弱酸性タイプ 200ml

宇宙のローション腹すべり

 いよいよ彼らにとっての帰還作戦がはじまる。<興行師>と粋に別れる。作戦開始、何らかの重大なトラブルや危険(光速に近づいて『タウ・ゼロ』的迷子になるなど)もありながら、やがてスイングバイの加速を得た彼らは宇宙の虚空をまっすぐに、果てしなくローション腹すべっていく。ふたたび真っ白な世界が訪れて……。
 彼らは「もとの」ボンネビル・ソルトフラッツに戻る。別れを告げて、それぞれの生活に戻っていく(「未来へ!」萩尾望都)。もう、あのようにローション腹すべるわけにもいかない、深い重力の井戸で、重たい脚を引きずって生きる世界。それでも彼らに後悔はない。

エピローグ

 四人のその後が語られる。
 ボブ(仮称)は妻と娘とふたたび暮らしはじめた。コメディアンを辞め、腕のいい自動車整備工(なにか伏線)として勤め上げ、自分の工場も建てた。今では曾孫まで生まれ、幸せに暮らしているという。
 フランクル(仮称)はあの世界で見た科学技術が忘れられず、世間から姿を消し、深い深い二度と戻れぬ数式の世界に入り込み、二度と戻らなかった。
 ジンナイ(仮称)は日本に戻り、別れた元妻の女優にものすごい方法でプロポーズして、玉砕する。それがきっかけで、結構なブレイクを果たす。しかし、人気絶頂の最中、チョモランマ登山ロケで行方不明になり、消息を経つ。シェルパの語るところによれば、夜中一人テントを抜け出したのではないかという。そして、雪の斜面にはまっすぐな光の筋ができていた。まるで、そこで誰かがローション腹すべりをしたかのような……。

 <おれ>は今もボンネビル・ソルトフラッツにいる。
 日本に戻りはしたものの、もうそこには俺の世界がなかった。だから今、ボンネビル・ソルトフラッツの片隅のほったて小屋で、ローション腹すべり屋をやっている。もはやローション腹すべりするやつも少なくなった。それでも俺はまだ待ち続ける。かつてのあいつらのような、この世界をぶちやぶるような滑り人(スライダー)が現れるのを。
 きっと俺は、そのスライダーと同じ速さでソルトフラッツを滑るだろう。片手には古いハンディカム。やがて真っ白な世界が訪れて……、その先ではジンナイもいるだろうか、いるとしたら、<興行師>のやつも一緒だろう……。

 ある朝、ソルトレイク新聞の片隅に、こんなベタ記事が載る。「塩平原のローション腹すべり屋が行方不明。現場にはローションのあとが残されていた」云々。<完>