ひみつのしごと研究所

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「……あのレタス畑はひどかったな。奴隷っていうのはこういうものかと思ったぜ。おれのご先祖さまもこんなんだったかってね。ルーブル安でもシベリアの森で働いてるほうがマシだったね」

 顔を手元の作業に向けたまま、おれの相棒のアテナイ・ストーンハウスが流暢な日本語で話しかけてきた。アテナイは四十代あるいは五十代の黒人だった。オクラホマ出身で、職を求めて世界をうろついていると本人は言うが、名前を含めて本当のことはわからない。

「シベリアも地獄なら、日本も地獄だろ。まさにここだってな」

 おれは麻酔で眠らされたマウスの腹をメスでスッと切り裂きながら答えた。四方を寒々しいコンクリートで囲まれた窓のない部屋。最低でも三台の監視カメラ。使い古されたテーブルと椅子、そして実験機器だけはぴかぴかだった。

 

 アテナイとおれが出会ったのはこの施設の待合室だった。お互い、目隠しと耳栓をして連れて来られた。アテナイはどこだかのレタス畑から逃げ出しあと、西成でスカウトされたという。おれは寿町で声をかけらた。相当に長い時間をかけてここまで来た。

 しばらくすると、待合室に白衣の男が三人やってきた。年かさの男が仕事の説明を始める。曰く、ある極秘実験を手伝うのが仕事だという。単純作業と、「彼女」の見張りが仕事だという。そして、最後におれたちの顔を交互に見ながら威圧的にこう言った。

「感づいてるかもしれないが、これは極秘の仕事だ。外に何かが漏れた場合はそれ相応の覚悟をしてもらう必要がある」

 また目隠しをされたおれたちは、廊下を歩いたり、階段を登ったり降りたりした挙句、この部屋に入れられた。目隠しを取ると、ラインストーンで彩られたノートに何かを書き付けている、白衣の若い女が一人いた。おれたちには一顧だにしなかった。少し若い白衣の男から仕事の説明を受けた。おもにマウスの腹を裂くのが作業のほとんどだった。管から出てくるマウスの腹を裂く。そしてベルトコンベアに載せる。そのくり返し。そして、こう言われた。

「もし彼女が『かくにん!』と言ったら、この呼出ボタンを押してくれ」

 そうしておれたちの仕事ははじまった。

 

 おれたちはダクトのような管の中から出てくるマウスの腹を裂きはじめた。はじめはマウスの死体かと思ったが、すぐに麻痺しているだけだと気づいた。マウスは次々と落ちてきた。けれど、おれもアテナイもすぐに仕事に慣れてしまった。異様な環境に無言だったものも、慣れるにしたがってお喋りをするようになった。白衣の女はなにか高度な器機を扱ったり、ノートをとったりして、おれたちにも、マウスにもいっさい興味を示さなかった。

「なあ、しかし、こいつはひどい仕事だな。女子高生を酢飯にのせるバイトの方がマシじゃないか」とアテナイ

「そういう仕事もあるのか。寿司っていうんだぜ、それ」とおれ。

「寿司なんて何年も食ってないよ」とアテナイ

 仕事が終わり、おれたちが目隠しをされて連れて行かれる寝泊まり用の部屋には、大量のカップ焼きそばが積まれていた。おれたちは毎日カップ焼きそばを食うのだった。

 

「かくにん! よかった!」

 この部屋に入って三日目の午後、初めて女が声を上げた。おれとアテナイはマウスの腹を裂くのをいったんやめて、顔を合わせた。おれが赤い呼び出しボタンを押した。妙な緊張感があった。三分もすると白衣の男たちが五、六人やってきた。小走りに女に近づくと、一人が彼女を押しのけるようにして大きな顕微鏡のようなものを覗き込んだ。また、別の一人は彼女からラインストーンで彩られたノートをひったくるように奪いとった。

「駄目だ、ぜんぜん違う!」

 顕微鏡のようなものを覗きこんでいた男が言う。白衣の男たちは、彼女に何を言うでもなくゾロゾロと部屋を出ていった。彼女は顔をこわばらせて怯えていた。おれはボケっと成り行きを見ていた。アテナイが席を立ち、彼女に近づいていった。

「あー、正直、おれにはあんたがなんでこんなところに閉じ込められているのか、そもそもなにをしているのかも知らないんだ。それでも言えるのは、さっきの連中の態度は、なんていうのかな、非紳士的だったぜ。人間には人間に対する最低の礼儀ってもんがあるんだ。そいつを欠いたものってのは、たとえ何のためだって、あんまりいいもんじゃないんだ。少なくともおれはそう思うよ」

 彼女の表情は少し和らいだように見えた。しかし、アテナイに何を言うでもなく、また自分の椅子に戻ると、ノートになにか書き付けはじめた。アテナイはおれに向かって大げさに腕を開いて「お手上げだ」のポーズをとった。おれの手元には麻痺したマウスの山ができていた。おれたちは黙ってマウスの腹を裂きはじめた。

 

 多いときには一日に三回、少ないときは一週間に一回。彼女が「かくにん!」と言うたびにおれたちはボタンを押した。はじめのころは勢い込んでやってきた白衣の男たちも、やがてなかなかやって来ないようになり、人数も減っていった。なにかひどく疲れているように見えた。ただ、彼女だけは黙々と自分の机でなすべきことをなしつづけた。おれたちにはそれがなんなのかさっぱりわからなかったが。

 

 そんなある朝のことだった。おれとアテナイが自分で目隠しをして部屋に連れて行かれるのを待っていると、入ってきた男がこう言った。

「仕事はもう終わりだ。報酬はこの封筒に入っている。出口まで連れて行くから、目隠しはそのままでいい」

 おれたちの仕事は終わった。おれたちは再び職を失った。

「なあ、あんたはこれからどうするんだ?」とおれ。

「小豆農家かどっかで働くさ」とアテナイ

「なんでだい?」とおれ。

「考えてみろ、おれたちがいったいどれだけのネズミを殺したことか。きっとネズミの連中が怖がって寄り付かない。きっと世界中の農家で重宝されるぜ」とアテナイ

「そうか、それじゃあおれはカップ焼きそばの工場で働いてみるか」。

 建物の外で目隠しを外された。ご丁寧に二台のマイクロバスが用意されていた。おれとアテナイは軽く別れのあいさつをすると、それぞれのバスに乗り込んだ。

 

 それ以来おれはアテナイと会っていない。そして、あの白衣の女がどこでどうしているのかも知らない。彼女はなにを「かくにん!」しようとしていたのだろう? そんなもの思いにふけっている間も、揚げたてのカップ焼きそばがラインを流れていく。いくらか見逃したが、なんてことはないだろう。そう、世の中にはマウスの腹を裂くよりマシな仕事はあるし、なによりおれはネズミを寄せ付けないんだ。食品工場で働くにはぴったりだと思わないか?