文化窃盗と村上隆

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こんな記事あってん。そんで、わしも、こんな堅苦しいPCの世界はかなわんし、くだらんし、つまらんし、って思うたわけや。でも、堅苦しい言うても、なんかそこに人の感情いうもんがあるんじゃないのと思うて、うーんと思ってみたら、ある人物の名前が浮かんだわけ。

 

日本人が気づかないうちにしている「盗み」のこと - Be inspired!

ここまで村上隆なし。

2017/08/09 15:47

そう、村上隆。アニメ好きなんかが、「何だこの野郎、おれたちの文化を盗みやがって!」みたいに嫌悪感を露わにするアーティスト。おれ個人としては、良くも悪くも作品にとくに興味なし、ただ現代美術に関するマネタイズ、マネージメント、そういった発言についてはやや同意するところが多いという人物。まあともかく、「文化の盗み」、文化窃盗については正確かどうかはともかく、日本人はこの人抜きには語れんのではないのか、と思った次第。

とはいえ、なんや他の文化の人間が別の文化を盗むのと、同じ文化圏と思しき人物が他の文化にその表層(かどうか正確にはわからんが)を売りつけるのと同じなのかどうかわからない。文化的なマイノリティ(文化にマジョリティとマイノリティがあるのか?)がマジョリティに奪われる、それは構図が違うんじゃないのか、というところもある。ただ、文化の「盗み」というものに、人の感情を高ぶらせるなにかがあれば、それは村上隆に対するそれ(と、主語が大きい。が、どこのだれが村上隆批判をしつつ文化窃盗をも非難しているとか調べる根気とかないのです)をまず思い浮かべてみるべきじゃないのかな、とか思ったという。

あらためていうけど、おれは白人が着物着てみたり、ニンジャ! してみたり、少佐になってみたりしてもいいし、逆に日本人が早撃ちマックになってみたり、文化は模倣の模倣ですごく変になっておもしろくなったほうがおもしろいと思う人間だ。だけど、村上隆のやってることに対してちらっとでもいらっときたところがあるとしたら、そこにはやはりなにかあるだろうとも思うのだ。

そして、表現者。これはもう、なんというか「こうしてやろう」ではなく「こうなっちゃいました」という存在であってほしい。結果が思想犯で懲役をくらおうが、著作権侵害で20億円払う羽目になろうが、だれかに蛇蝎のごとく嫌われようが、「やっちゃったやつ」であってほしいと思うのだ。PCを気にして、戦略的に、知的にやるようなやつも……いてもいいが、それはあまりおもしろくない可能性がある。「後先考えずやっちゃいました」という過去形の、プロシュート兄貴の精神であってほしいと思うのだ。これも勝手な話だ。おれはときに賞賛し、ときに石を投げるだろう。それでも、石を投げられるものが表現者であってほしいと思うのだ。

以上が、低能未熟大学文学部美学・美術史学専攻中退のおっさんが思う思いである。みなさまはどう思う?