台風が去ったあとのこと。アパートのドアを開き、ドアを閉める。鍵を置く。ふと観葉植物を見る。なにか変だ。そこにいる。しれっとそこにいる。「いや、わたしたち枝葉ですよ。お気になさらずに」というふうにいる。
いやいやいや、ちょっと待て。
いくらなんでもしれーっとしていても、君らバッタやん。オンブバッタやん。葉っぱ違うやん。部屋の中におったらいかんやん。
というわけで、両の手を覆いかぶせるようにして、二匹とも外にポイーしたった。
それにしても、みごとな「しれっと」だった。こいつらは、このように「しれっと」して、カマキリとか鳥とか、そういうものから身を隠して何億年だか生きてきたのだ。たいしたものだ。それに気づいたおれもたいしたものだ。
医者に行った。
「夜も眠れませんし、朝も起きられません。仕事は溜まる一方で、死ぬことしか考えられません」
「あなたの場合、環境要因が大きいからね」
「それで、せめて死んでお役に立とうと福島のブレインバンクの資料請求なんかしたんですけど」
「なにそれ、知らないなあ。いや、ブレインバンクは知ってるけど、福島ねえ。でもねえ、変なことにならないでくださいよ。ほら、来月も来るって約束しましょう。カルテにも書きますよ。『来月も来ます』、答えは……『はい?』ですか」
「はあ、まあ、できれば、なんとか」
おれだって、死にたくはないのだ。でも、死ななくてはならないのだ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。これ以上苦しむのにも耐えられない。オンブバッタのようにしれっと生きるすべを知らない。気づいたらそこにいて、それでいいような存在になることはできなかった。どういうわけかそうだった。その「どういうわけ」がわかる一助になればと、おれは脳みそを検体しようとしている。おれだって、一生に一度、いや、死んで一度くらい人の役に立ってもいいだろう。
翌朝、連中、今度は外でしれっとしていやがった。しれっとね。カマキリには気をつけろよ。