おれの薄い本が出るらしいです。

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おれの薄い本が出るらしいので、宣伝というか、予告というか……。

dk4130523.hatenablog.com

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なんというのか、自費出版ですらない。他費出版というのでしょうか。一人でも同人誌というのでしょうか。いや、お手伝いしてくれる方がいてのこと、というか、むしろ、おれは企画の時点からなにもしていないのですが。人任せで、なんなんでしょうか。

まあ、神輿は軽いほうがいいと言いますか、神輿が勝手に歩ける言うんなら歩いてみいや、と言いますか、おとなしく推移を見守りたい、と言いますか。いや、校正、校閲、印刷用画像処理をはじめとしたDTP、やれることはやりますので、はい。いや、なんなんでしょうか。

とうぜんのことながら少部数なわけですが、自分の文章が印刷されるのです。これは……おれにとっては一大事でもあり、一方で慣れてないことでもない、のです。

慣れてないことでもない、とはどういうことかというと、何冊か、あるジャンルの事典的なものの全面的なリライトなどをしていて、それが本屋で売られ、図書館に納められ、というのは見ているのです。もっとも、それらについておれの名前が奥付に入っているとすれば、「編集」か「DTP」か「校閲」といったところで(正確には「校閲」ではないのですが)、べつにおれがオリジナルを書いたわけではないのです。同様に、ある種のパンフレットや公共サインについても自分の文章が入ってるのですが、それはおれが職場において「文章を書く人」だから書いただけで、べつにおれのオリジナリティが入っているわけでもない。情報をまとめて、文章を整えた、というだけです。

では、おれの一大事、おれのおれがおれで書いたものが印刷されるのはいつ以来でしょうか。おれの記憶では、小学校の三年生か四年生くらいのころです。学年で「よくできた作文」を集めた文集に採用されたのです。ほかの子は、運動会や遠足の話でした。おれはといえば、どういうお題で書かされたのか憶えていないのですが、「なんでもない普段の日の、登校するまでのこと」でした。日常の雑文です。

そして、ある日。友人の家に遊びに行ったら、その友人のお母さんから「文集を読んだけど、大人びていて面白かった」と褒められたのでした。おれは謙虚にお礼を言ったかどうか、これもおぼつかないのですが、内心では「こっちは東海林さだおのコラムで日本語を覚えたんだぜ」と思ったりしたような気がします。生意気ですね。

とはいえ、おれはおれなりにインターネットに文章を放り込むというのは、それなりに(ほんとうにそれなりなのですが)意欲といいますか、表現するという自意識をもってやっていることではあるのですが。こうやってキーボードを叩いて、「公開する」ボタンを押すのも、少数のものたちへの手紙なのです。でも、印刷されるとなるとやはりまた違うものがあるのか……。

というわけで、黄金頭さん、三十年ぶりの文集になります。いや、まだ影はあっても形はないので、なる予定です。なんらかの事情によって計画が瓦解することもあるでしょう。ガクガク、ヘコーヘコーしながら、お手伝いしたいと思います。いや、そこまで他人事でいいということはないはずなので、なんか新しく書けと言われれば書きますし、せめて誤殺、いや、五冊くらいはどうにかどなたか物好きな方に手にとってもらえればと……のっぴきならない掟破りの逆皮算用をしている次第なのであります。なんだかよくわかりませんね。待て続報、混ぜるな危険、待てば海路の日和ありです。いやはや。

 

以上。

 

追記:いや、薄い本=薄い同人誌を数十部刷るかもしれないというだけで、出版とかたいした話ではございませんので。一応。