米びつの恐怖

 炊飯器を買った。一人用だけれど、銀色のかっちょええやつだ。炊飯器の名前は「ローエングリンプリサイスマシーン、あるいは栄光の阪神マイル」号だ。そんな話をしていたら、「米びつも買わなきゃね」と言われた。言われて背筋がぞっとした。「米びつ」。日常ではさほど使われない言葉だが、物としては単なる米の入れ物である。それが、私の背筋を冷たくした。
 「米びつが空になる」。辞書の用例に真っ先に載っている言葉だ。空の米びつが醸し出すイメージ。それは飢餓そのものである。米の代替品は無い。こうも敏感に反応するのは、米を食って生きてきた日本人のDNAが為すところなのか。私は米びつから米が無くなるのを防がねばならない。米が無くなったら死ぬときだ。
 一人暮らしをはじめてから、お好み焼きを主食にしてきた一年間。生活の先行きが不透明、いや、暗いのは今と変わらなかった。しかし、米びつに感じたような具体的で、骨の凍るような寒いイメージは感じなかった。ああ、愛すべき米よ、米よ。お前は私を絶望の淵へ追いやった。恐るべきは空の米びつ。歴史にあらわれた多くの飢饉、そして一揆。私は恐怖に打ち震えて、七時に炊けているであろう米をそのままに、十時を回っても仕事をしている。減りゆく米、滅び行く地球。君、世界は残酷だ。