初めての一周忌

 四半世紀以上生きてきて、初めての「法事」である(通夜や葬式が「法事」に含まれるのかどうかわからない。ここでは追善供養の意味で)。この度の一周忌は母父のもので、父父はずいぶん前に亡くなっているのだけれど、父系の方はあまりそういうのに熱心ではないのだ。とはいえ、母系の方が熱心かというとそうでもなくて、浄土真宗(だったかな)で電話帳を引いて近くの寺を調べたということ。
 集まったのは、ごく身内のみで十人ほど。寺は住宅街の中にあり、それほど大きなものには見えなかったが、中は待合室に食事の出来る大きな部屋が二つと、それなりに広い。一階のロビーで三十分待ったあと、二階のメーンルーム(何と呼ぶのかわからない)へ。お年寄りも多く利用する施設のためか、ちゃんとエレベータも完備されていた。着席すると(最近はどこも椅子タイプなのだろうか)、小冊子が配られた。何やら学校のころを思い出すとか思っていると、冊子のお経を合唱せよと先生、否、お坊さんからの指示。「百八ページを開いてください。その冒頭の部分は私が一人で唱えますので、次の黒丸の部分からお願いします」とかなんとか。そんな、練習も一切してないよ。
 とはいえ、門前の小僧でなくともお経のリズムというのは受け入れやすく、一応なんとなく合唱っぽくはなった。誰も声出さなかったらどうしようかと思ったよ。俺も、小学校のころに合唱に参加したくらいの声(かなり小さい)で参加。だんだん調子に乗ってくると、皆お坊さんの声を追い抜いてしまう傾向にあるようだった。
 そして途中、焼香となる。これも事前の指示通りで、最初の念仏と次の念仏の間に行うのだ。脇を支えられた祖母からつつがなく進行し(焼香台にでかでかと「焼香は一回だけ。ひたいに持ち上げない」などと書いた紙が貼ってあった)、皆着席。坊さんは経を読んでいる。経を読み続けている。……と、ここで気が付いた。次のパートに突入しているのだ。焼香中にも経が進行しているとは、我ら親族誰一人気が付かなかった。というか、そういう指示は受けていないぞ。後半開始の合図があるものだと思うじゃないですか。結局、経を追おうにも似たような文言が多く、また一人で当該箇所を発見したところでどうにもならない。
 しかたないので、その冊子(日頃の教えや用語解説、他の経など)をパラパラめくって残りを過ごした。他の親族もそのようであって、とにかく眠さに耐えなければならなかった。これも学校気分といえなくもない。隣の伯父は夜勤明けとかで、すっかり眠っていた。経の合間合間に入る拍子木のような音の大きくなるのにつれ、「お前らちゃんと声出せや」と叱責されているような気になったものである。
 しかし、お経の後にそういった話は出ず、つまらない説法をされて無事終了。一階の広間で冷めた日本料理などを貪り食べ、その後祖母の家を訪れて夜は寿司やクジラの唐揚げ(美味)などを貪り食ったのであった。