自覚せざるハイデフ主義者/俺のゲームの歴史は一方通行だぜ

 先日、テレビを新調した。ソニートリニトロン14型ブラウン管から、32型液晶テレビへの移行だ。
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 これにより、テレビ視聴環境が劇的な変化を迎えた。もちろん良い方向に(人生にとってプラスかマイナスかなどは関係ない!)。しかし、ゲームはどうなのだ、ゲームは。俺のPS2はどうなるんだ?
 と、つないでやってみて愕然とした。ぼんやりしてる! 字がくっきりしていない! アンシャープマスクかけて! ……みたいな。というわけで、大画面で迫力のゲームというわけにはいかず、PS2の解像度ってこんなんだったのかと思うばかり。こんなんだったら、ゲーム用にブラウン管取っておけばよかった。こんなんじゃゲーム楽しめない。二画面分割表示にして、片方だけ見てやればいいが、それも変だ!
 ……と、ふと思ったけれど、俺はゲームに、ゲームハードに画面の美しさを求めてやまないタイプのようだ。古いゲームや現在のゲームに対するあれやこれやと、いろいろの意見のある人もいるだろうけれども、俺が俺を観察するところ、俺は新しい画面でしかゲームができない。小さなころからだ。俺は他の友だちに比べて多くのファミカセを持っていたけれども、スーファミに移行してどうなったか、もう一顧だにされなかったのである。スーファミのゲーム>大好きなファミコンのゲーム。これが鉄壁。たまに『ダウンタウン熱血行進曲 それゆけ大運動会』とか引っ張り出してみても、やっぱり違うな、と思ってそれっきりだ。それは、スーパーファミコンからプレイステーションへの移行でも起こった。そして、互換性のあるプレイステーション2への移行でも同じだった。はまりすぎてやばいと自らにプレイを禁じた『ネオ・アトラス』や、自分的にはファミ通の採点に納得の『ベイグラントストーリー』、これらもPS2でできると思いながら、いざやってみれば「今さらこの画面じゃやってらんね」の一蹴。俺にとってなつかしいゲームはなつかしいものにすぎず、プレイしようという気は毛頭起こらない。せめて、リメイクしてくれよ。
 で、なんとなくネットで良心的なゲーマーたちの意見などを読めば、「今のゲームはつまらない」、「いやいや、昔のゲーム、思い出には美化があるんだよ」、「今も昔も関係ない、一つの遊びだよ」などなどあって、どうも自分のような「一つ前の機種なんてプレイできるかよ! ともかく画面キレイじゃなきゃいや! ムービーばっかりだと操作簡単で超いい!」とかいう人間は問題外のように思える。そうだ、つまりは俺はゲーオタでもゲーマーでもないのだな。つまるところ、クラスのほとんどがファミコンを持っていたとき、「ファミコンなんて一切やらない」という子がきわめて少数派だったとき、俺もファミコンを持っていて、まさにその俺がその「なんとなくゲーム機があってテレビに繋がってるのが当たり前」のメンタリティのまま大きくなった。中学高校のスト2にはじまる時期、ゲーメストなど読みつつ、そうとうにゲーセンに金をつぎ込んだあたりではややゲーマーだったかもしれないが、少なくとも「家にゲームが」という点では、小学校のころから変わっていない。今、そう気づいた。ライトユーザー? ライトゲーマー? どれもしっくりこない。家にテレビがあって、テレビを見るからといって、テレビユーザーとは言わないだろうみたいな、そんな感じなのである。
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