かんなぎ第五幕、第六幕、その他の悪霊について

 もう一週間の間で生きていて楽しいのは『かんなぎ』と『喰霊-零-』(で神楽と黄泉がいちゃいちゃしとるのを)見とるときだけでありますという自分でありますが、なにやら『かんなぎ』界隈がざわついているので、なにかと思いましたら、ナギ様が非処女という騒動なのでありました。
 はて、まあ。はっきり言って、私は寝取られ話が何より好きな変態でありまして、そういう意味で何の問題もないというか、むしろストライクゾーンの狙い所に飛び込んできたという虫の息なのであります。さらにいえば、現実的な話として私の女性に対するストライクゾーンはおおよそ恐ろしいほど広く、広く、広いのでありまして、バッターボックスを右から左へ飛び越えて、美少年だって、殺人L字ボールだってどんと来いという具合でありまして、さらには高低に関しましても低い方には口をつむぎますが、高い方では「女性は子供の一人二人産んでからがスタートだよ」などと言っても過言ではないのであり、そういう意味で街の人々を「我が子ら」などというナギ様は産みすぎてて「あら、いいですねぇの波」がきている産土神、ということになるのであります。
 というか、そもそもナギ様って木じゃないですか(そもそも二次元じゃないですか、などと不粋なことは言いません)。木、木じゃないの。いわば木人。あの始まりを見たので、どうもナギ様……
 (話がそれます。さっきから現行のアニメキャラに「様」をつけていることに、多少引っかかっているということを正直に告白しておきます。これがたとえば古くからの「ハマーン様」などであれば抵抗はないといえる。ここらあたり、この春からアニメに接し始めた若輩者ということでご海容いただきたい。話を戻します)
 ……ナギ様の姿には、木人(埼玉プロレスでサバイバル飛田と戦っていたようなやつです)を重ねて見るようなところがあった。これが私の感情のベースにある。だから、処女だ非処女だといっても、所詮は木じゃないかという、おそらく、おおよそずれたところにいる自分が悔しい。でも感じちゃう。もっと神学論争に加わりたい。
 というわけで、木は木だし、廃材の再利用でもないから、よりしろとしての処女性は高いのではないか、などと主張してみます。だがちょっと待って欲しい。生木の段階で雌雄異株のナギ、じゅ、受粉なんてけしからんことはしていないのか……? おそろしい神学の闇だ。理性と信仰に横たわる溝だ、人類の抜け出すことのできぬ永遠の陥穽だ。
 ……いや、まあしかし、五幕と六幕でしたか。五幕の方はなんか変だった。見ていて、話がばらばらに、飛び飛びになっているようで、十五分で真ん中にコマーシャルの入る三十分アニメを観ている感じがしなかった。途中で止めたくらい。あと、やけにキャラのしゃべりが早く感じて、まちがって早送りにしてるのかと思った。何でだろう、そのあたりはわからない。単に寝起きに見ていたから、かもしれない。一方で六幕は、トゥーピュアピュアボーイっぷりはじめ、こちらは面白かったと思う。まあ、こんなもんです。あと、エンディングテーマの発音、ありゃあ、古い日本語の発音なんですかね? ハッテンマイケルって? いや、そうではなくて、まあいいや。おしまい。

産霊山秘録 (集英社文庫)