テレビ・アニメというものを同時進行的にいくつかみはじめて、おおよそ一年になるだろうか。なにせ、無料ということもあって、この趣味というのはなかなか終わりそうにないよ。この春からも、いくつか見つづけるだろうものが決まってきたので、ここにメモしておくよ。
涼宮ハルヒの憂鬱
ネットのかたすみにあって、またネットをうろつく人間にとって、『涼宮ハルヒの憂鬱』をいっさい知らないということは、なかなかの疎外感があるものだ。さいきんではファンによるイラスト界隈も知らないし、もとより動画界隈にはうといけれども、そう思わずにはいられない。そんな僕にも、いよいよ観る機会がおとづれたということだ。だから、これはもうともかく、視聴することは放送前から決まっていたんだ。
今のところ、初回だけ観た。数年前のものだから、画面のサイズは小さいのだな。最初の雰囲気としては、自分としては『フタコイ オルタナティブ』などが思いうかんだが、どのように展開していくのだろう。おっぱいが揺れたりするのはとてもよいと思うよ。ひょっとしたら、よく広告バナーで見かけるフィギュアとか買ってしまうくらいはまるのかもしれない。そうでないのかもしれない。まあ、なるようにしかならないというものだろう。
けいおん!
これはネットで評判になっていて、あわてて確認してみたら、一回目の放送を逃していたんだ。アパートのケーブルテレビ導入で、東京、神奈川、千葉、埼玉すべての独立U局視聴可能体制にある油断というものだ。これはTBSなんだね。
というわけで、二話目をみたんだ。はっきりいって、この『けいおん!』をみている自分の姿というものは、だれにも見せるわけにはいかないな、と思う。僕はすっかり呆けたように、にやにやしている。自分に幻滅するくらいだ。それくらい、やられてしまうところがある。言うまでもないが、百合的な面でだ。男なんて、アニメの中にはいらないぜ、とすら思う。じっさい、そうなってきているようにも思う。
そして言うまでもないが、四人の中で一番好もしく思っているのは、ベースの秋山澪ということになる。百合ゲーム『アカイイト』の千羽烏月、アニメ『喰霊-零-』の諌山黄泉にやられてしまった、この僕の系列といえばだいたいわかってもらえると思う。
僕は朝、山手本通りを通って港の見える丘公園の方へ行く。そのわきには、名門女子校があって、その中には女学生がつまっている。つまっている中には、なにかあるんだろう、あってほしい、あるべきだ、なくてはならない、僕はそう思う。この世の中に少女以外のものなんていらないぜ、とすら思う。そんな春だ。
シャングリ・ラ
僕は「快楽天」によって育った世代であって、村田蓮爾といえば、ほとんど特別な存在だったといいたい。ゲームとしては、カプコンやSNKのそれよりも劣っていたかもしれないけれども、「豪徳寺一族」だって思い出の作品だ(ほかはよく知らないともいえる)。
そして、この『シャングリ・ラ』はSFなのだ。僕は、日本のSFをどこに求めてよいのかよくわからないところがあったけれども、ひょっとして、いや、自明のことだ、アニメを追えばよかったのだ。舞台は緑におおわれた東京。炭素排出量がすべてを支配する世界のこと。幼女、おかま、ドS、そしてピンク髪の少女。これをみのがす手はないぜ、と思う。
そして、このようなSFアニメというと、『RD潜脳調査室』が思い浮かんでくる。この世界にムチムチはあまり求めない。でも、村田蓮爾テイストの機械少女がでてきてくれたらいうことはないと思う。
ところで、「シャングリラ」といえば何を思い浮かべる? 電気グルーヴのあの曲? 僕はデイト・オブ・バースの曲を思いだすんだけれども。
咲-Saki-
僕はそれなりに麻雀少年だったと思う。中学時代は、近代麻雀三誌をすべて購読していたくらいだった。西原理恵子、片山まさゆき、みやわき心太郎……。
友人ともよく麻雀をした。友人のうちの一人の実家が大きな病院で、その一室に全自動雀卓つきの麻雀ルームがあったのだ。そこで生意気にも、風速0.5の勝負をしていたものだ。あの磁気をおびた、つめたい雀牌、ものすごく強かった、あの家のばあさん。そう、あのばあさんの、牌を叩きつける音の大きさ、僕には一生、あの音を出せないと思ったものだった。
だから僕は、もうすっかり点数計算も忘れてしまった(そもそも覚えていたのか?)のだけれども、麻雀というとそれなりに気になる世界ということになる。そして、どうもよくわからないが、いきなり百合のような描写があって、僕はまいってしまったね。多牌の作画ミスにも気づかなかったよ。
いずれにしろ、どうも僕はこのアニメをみるだろう。それはかなり決まっているんだ。萌えと麻雀、しかも百合。べつに脱衣要素なんてまったく必要ないじゃないか。そうだ、べつに麻雀漫画に麻雀性なんて少なくてもいいんだ。牌が光ったり、背中が煤けたりすればいいんだ。まったく。
ところで、僕の雀力といえば、まったく僕の競馬と同じようで、僕の人生と同じようだった。まるっきり勝負に弱かった。まるで才能も運もなかった。でも、大負けもしない。ただ、なぜだかわからないけど、「おまえは将来プロ雀士になれそうな雰囲気がある」と言われた。雰囲気だけの人間なんだし、もうそんなものもなくなってしまったのだろう。
バスカッシュ!
マクロスの人ということで確認。これもSF。しかし、この雰囲気、なにかファイナルファンタジーシリーズのようだ。最近のものだ。そんな印象を受けた。どのようなものかちょっとよくわからないところもあるけれども、背景のゴージャスさなどは好もしいので、とりあえずみていくことにはなるんじゃないだろうか。
……と、こんなところ。あるいは、『鋼の錬金術師』も、競馬に負けて呆然とする日曜の夕方にみるものとして定着するかもしれない。また、このなかからも、みなくなってくるも出てくるだろう。少し多いかもしれないからだ。とはいえ、いずれにせよ地上波デジタルでただみたいなもの。好きなように消費しようと思うのだ。
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