I kill my father,This is my life.
いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも通る道だからって、景色は同じじゃない。それだけではいけないのか。それだけのことだからいけないのか。
この台詞にぶっ殺された。「いつも通る道でも違うところを踏んで歩くことができる。いつも通る道だからって、景色は同じじゃない」というのは、そのままに俺の国是、俺の国というものがあるのならば、その国是のようなものなのだ。この日記のだいたいも、それによって成り立っているように思う。だから、それだけのこと「だから」いけないのか。この問いかけは、否応なしに、ピンポイントで俺を撃つ。俺は、そのあとのシーンを繰り返し見た。繰り返し、コマ送りで、何度も見た。脳裡にこびりつく。
まったくまいってしまう。俺はもう30だ。キルドレの歳ではない。でも俺は、まったく成長していないなにかなのもたしかだ。良い意味とはとてもじゃないがいえない。6歳の俺、10歳の俺、14の俺、16の俺、18の、20の俺が俺のしゃれこうべにはそっくりそのまま入っている。ふつう、人間、成長すれば、子供のころのしゃれこうべは脱ぎ捨ててくるものだろう。頼朝だってそうなんだ。「このボールは江夏の21球のうちの8球目なんだけれども、君になら特別安く売ってあげよう」。
『スカイ・クロラ』を観たのはこの間の日曜日。その後の俺の日記になにか変化を感じられたのなら、あなたは俺検定一級だ。俺にはよくわからないが。ただ、なんというか、なんなんだ、まったく、「いけないのか」という気になっている、この心境の変化というものは、なんなんだろう。いや、これもひとつのきっかけに過ぎない。俺はまだガキのままだし、しょうもなく歳だけ取って、生きているのかどうかすらわからない。背も伸びなかった。そんな思いが、じわじわと、この遅い、遅い、思春期に訪れていて、俺には旅が足りないと、そう思っている。
草薙水素に殺されたい
それはそうと、主要登場人物の草薙水素女史についてぜひ触れたい。俺はもとより美しい人形や死体にひかれるところがあるのだけれども、この草薙女史の人形っぷりと死体っぷりには萌え……萌えるという言葉は俺の日記で過去に3回くらいしか使ったことがないが、まさにそのような思いを抱かざるをえないのだ。
とくに、ボウリングのシーンがやばいのだ。胸ポケットに押し込んだネクタイ、重いボール持つ華奢な躰。あのシーンはかなりの、なんらかの、フェティシズム? に溢れている、そんなふうに思えた。たまらん。押井守め、やってくれる。
関連______________________
- 『イノセンス』/監督:押井守 - 関内関外日記(跡地)……ところで俺、草薙水素ってキャラは映画で押井が押井の草薙素子を押し込んだものと思っていたけれども、原作キャラだったのね。
- 『真・女立喰師列伝』監督:押井守/神谷誠/神山健治/辻本貴則/湯浅弘章 - 関内関外日記(跡地)……これのひし美ゆり子がエロかったので、押井ならやってくれると思っていたよ。
- 『立喰師列伝』/監督:押井守 - 関内関外日記(跡地)……そういや、『スカイ・クロラ』で立ち喰いシーンあったっけ?