未来世紀はてな

 気づいたら、おてんとうさんが真上にあったんじゃ。この3月はまったく寒くて気づかなかったんじゃが、もう昼じゃった。そのわりには、たくさん空き缶拾えてな、わし、一息つこうと思うて、大袋二つ左リアキャリアに積みかさねた自転車降りて、日当たり探したんじゃ。
 そいたらな、花壇の横にわしのような年寄りがひとりおってな、わしのように前世紀の遺物のスポーツ自転車をとめてやすんでおった。やっこさんの獲物も空き缶みたいじゃった。老犬一匹横におって、野良か連れとるのかはまあわからんかった。まあ、そんな輩もめっきり少なくなってな、たまには人と話してみようなんぞと思うて、よって行って隣に腰かけたんじゃ。
 そいでな、やっこさん、年の頃はわしよりいくらか上なんじゃが、おてんとうさんだとか、雨さんだとか、砂ぼこりだとかに長い月日を重ねると、まあようわからんようになる。そして、みんな同じような目をして、あの独特のにおい、生きている人間のにおいを放つようになるわけなんだがの。まあ、ええ、そいで、わしは「おたくさまも、自転車乗りですかいの?」言うて話かけてみたらの、なんやら前の方を見てまったく虚ろで反応せん。まあ、そんなこともよくあるで、わしも人さまと話しよるのは久方ぶりのことじゃけ、かまわず続けたんじゃ。
 「なんやら、ええ自転車でございますな。太もものほうもよう張っておって、さぞかし遠くまで行かれたこともおありじゃろか?」
 すると、やっこさん、口を開いて、ポツンと言いおる。
 「……アメリカ」
 「ほう、海外ですかいの。たいへんなことですの。わしはこの国からついに一歩も出んでな、アメリカを自転車で旅なすったんか」
 「アメリカ……、シリコンバレー、……京都……、」
 おう、なんじゃら、返事しよるで、わしはもうちょっと聞いてみとうなってな。
 「ほうほう、いろんなところ行きなさったな。まあ、たいしたもんじゃの。なにか面白う話でもあらんかいの?」
 言うてみたんやが、やっこさん、ついに前の方をみたままやって、わしの質問など聞いてないようじゃった。
 「上場……CFO……、マイクロアド……、もしドラをうちから出版していたら……」
 なんや、まったくわけわからんこと言いよる。わしもどうしていいかわからんでな、適当に相槌うっとった。それでもな、なにか自然と頭の中というか、指先がな、青文字の「B!」をさがしてな、そいで、なんちゅうたか、ボタンを押して、あれや、ブックマークをしようとしてたんじゃ。なんやかもうわからんし、機械に最後に触ったんも、なんたらネットにつながってたのも何十年も前なんじゃが、今の、この光景を、なんや、あれや、ソーシャルやっか、ソーシャルしたらおもしろいんちゃうかて、そんなん思うたんや。
 なんや、わしにはわけがわからんで、ほれ、腕なくなった人がなくなった腕が痒くてしゃあない言うみたいな、そんな気持ちでな、あれや、あのマウスのボタンな、そんなんあらないのに、青文字の「B!」押して、記録して、共有せなあかんと、そんな気になったんや。でも、マウスも、端末も、なんにもあらんし、首からぶら下げたαの写真機な、昔ソニーいう大きい会社あったんやが、それもとうにおしゃかさまになっとってな、なんや、むずむずするばっかりで、ついには気ぃ悪くなってもうたんじゃ。
 「ああ、あんたさまも、いろいろおありじゃろうて、まあ互いに精出しましょうや」
 まあ、こんなん言うて、切り上げることにしたわけじゃ。犬だけは礼儀ただしくてな、見送るみたいに立ち上がってしっぽふりよった。やっこさんは相変わらずつぶやきつづけておった。
 「オプトアウト、いいね……、トラッキング……、これはひどい
 ああ、まあトラッキングじゃトラッキング、空き缶かて資源局に追跡されて没収されてしもうては、おまんまの食い上げいうものじゃからな、じっとしとったらいかんのやった。
 「じゃあ、さよなら、さよなら、コッカコーラじゃ」
 と、わし言うたん。したらな、もう今どき物理的に街の中におる人間なんておらんかて、その声響いて、あたりの3Dデジタルサイネージがいっせいに立ち上がって、コーラの宣伝しはじめよる。
 「アホか、野坂昭如じゃ、マリリン・モンロー・ノー・リターンじゃ!」
 思わずわし、機械に叫んでしもうた。したら、今度は合成された大量のマリリン・モンローがスカートバタバタさせながら、ペプシすすめてくるんで、もう頭がおかしくなりそうじゃった。わしが用あんのは、空っぽの空き缶なんじゃ、ボケが。
 わしはわしのすばらしいコルナゴにまたがると、転けんようにバランスとりながら思い切って漕ぎ始めた。油はきちんとさしとるからの、三ヶ島のペタルはくるくる回るし、トゥークリップはきちんと脚を固定してくれたでの。わしがそんなに自転車を漕ぐのは実に何年ぶりかのことじゃった。車も人もまったくおらん産業道路の景色つぎつぎに無限のマリリン・モンローが現れては、つぎつぎに後ろに飛びさっていったわい。わしはもう、行けるところまで行くつもりになっての、空き缶の山を左後にガシャガシャいわせながら走りつづけた。それでも、その日のうちに辿りつけたのは、Googleの二文字目のoの頂点くらいじゃったと思う。それからわしがどこまで走りつづけたかは、もうよう覚えておらんでの、この話もおしまいじゃ。


(この日記は、昭和107年に起こりえたかもしれない事実の一つではある)
 

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