森は生きている。街は生きている。関内も生きている。

 

森は生きている。街は生きている。関内も生きている。いや、生き返ろうとしている。ついこないだまで、関内の街を歩くのは生きているのか死んでいるのかわからないゾンビみたいな連中ばかりだった。ゾンビそのものだった。ゾンビたちはコンビニやスーパー、ファストフード店でものを食べないので街の経済は死んだ。森は生きているのに社会、関内は死んだ。

 

死んだ関内にビルが建つ。ビルというのは、非常に高くて、大きな建物だ。アパートよりもだいたい大きい。少なくともおれが住んでいるアパートよりも大きい。アパートより大きい建物がビルだということになる。関内に建つビルは、ビルの中でも大きいビルで、ビルにしても大きすぎると話題になった。街の中を、高所作業用の立体機動装置付きで歩く調査兵団が歩くようになった。関内はにぎわった。これからは横浜開港、欧米列強に学ばなければいけないという機運も高まり、大学もできた。外国人も死ぬので外国人墓地も作られた。

 

そんな活気の出てきた関内をおれは歩いていた。歩くというのは、右足を出したり、左足を出したりすることだ。それでコンビニに入って安いワインと、カップデリと、東スポ(競馬特別版)を買った。そのコンビニはまだ新しく、レジの店員も不慣れそうだった。レジで違和感があった。レシートを見てみると、東スポの価格が180円になっていた。週末の東スポは250円になって80年は経つ。「間違っていますよ」とおれは店員に言った。おれは追加で70円ペイすればいいだけだろうと思った。

 

ところが、店員はすべての商品のキャンセルをはじめた。ペイの仕組みはそういうものらしい。そして、返金証明のレシートを出してきて、「これをトルヒーヨのハルディンまで持っていってください。お金が返ってきます」という。おれはとても面倒な気持ちになった。もうすべてがどうでもよくなった。おれはゾンビだと思った。おれのゾンビが関内を歩いていた。

 

すると、おれに声をかけるものがいた。牧師だか神父だかの格好をしている。

「そこのあなた、生きるのにつかれていませんか?」

「つかれているとも」

「では、関内に新しく建てられるビルの生贄になりませんか? いまなら無料です」

 

無料というのは人のこころを惑わせる。とてもいいことのように思わせるし、その裏にはなにかがあるようにも思わせる。東スポの競馬特別版が無料だったらどう思うだろうか。予想がすべて山河の一撃ということになっているかもしれない。山は生きている、河も生きている。しかし、この山河も敵の陣。

 

「いいえ、ぼくはトルヒーヨのハルディンに行かなければいけないので」

おれは神父だか牧師だかを突き飛ばして走り出した。走るとは、歩くときよりも速く右足を出したり、左足を出すことだ。うしろから「贄が逃げたぞ!」という声が聞こえた。おれは走った。不老町の交差点から扇町二丁目の交差点まで走った。おれは力尽きて倒れた。倒れ込んだおれを取り囲む人間の気配がした。

 

気がつくと、おれは関内に建てられる新しいビルの中にいた。まだ建てられていないビルは、今から壊されるビルと同じような雰囲気だった。街は生きている。そして、死ぬ。蘇る、歩き始める。両手両足を縛られて、椅子に座らされたおれは、静かにそのときを待った。

 

市長が、目の前に現れた。うしろには拳銃を構えた神奈川県警の警察官たちの姿が見えた。神奈川県警は鹿児島県警より優秀だ。

「きみが関内を悪しざまに書くのが悪かったのだ」

「おれは関内を悪しざまに書いたのか」

「残念ながらここまでだよ」

「死ぬまえに一杯、アードベッグを飲ませてくれないか?」

「支払いはペイかね?」

 

それがおれの最後に聞いた言葉だった。

森は生きている。街は生きている。関内も生きている。