テレビのキー局が潰れるというのはどういうことか、見てみたい

 

フジテレビがたいへんなことになっている。中居正広の問題から、フジテレビの問題になった。そのあたりのことは省略する。とにかく問題になって、スポンサーがどんどんACに置き換わっている。どの企業が離れていったとかそういう話は省略する。このままいったら、フジサンケイグループにどれだけの資産があるといっても、スポンサー頼みの民放テレビとしてはかなり厳しいんじゃないのか、となった。太田光が叫んでいたように、「正念場」になっているように見える。

 

見える、というのは「そうなるように期待している」という面が少なくない。おれはそれだけ性加害問題に敏感なのか。もちろん軽い問題ではないし、テレビ局が組織的に行っていたとなれば大問題だとは思う。だが、おれの仄暗い期待というのはそういうものじゃない。

 

「テレビのキー局が潰れるというのはどういうことか、見てみたい」

 

これが大きい。おれは関東圏に育った昭和生まれの人間だ。テレビ局というものはNHKがあって、教育テレビがあって、日本テレビがあって、TBSがあって、フジテレビがあって、テレビ朝日があって、テレビ東京がある。それがなんというかテレビの完全な枠組みであって、変わることのないものとして存在していた。地デジ化でチャンネルの番号は変わったが、基本的には変わらない。絶対不変。そのくらいの感じ。

 

どのくらいの感じかというと、たとえばおれが住んでいる神奈川県。神奈川県がなくなる、となったらどうなる、というのに似ている。それぞれ自分の住んでいる都道府県に置き換えて想像してほしい。昭和生まれのテレビっ子にとって、そのくらいキー局の存在というのは圧倒的に存在しているものであって、なくなるなんていうことは考えられなかった。

 

ライブドア問題があったじゃないかと言われるかもしれない。あれはあれで面白かった。それでも、それはフジテレビの株主が変わる、まあ経営陣が変わる可能性であって、今ほどの興奮は感じなかった。名前がライブドアテレビになったかもしれないが、それでもまあ知事が変わるくらいのことだろう。

 

今回は、そのものが破綻の危機にある、と、思いたい。どうなるのか見てみたい。そこまでフジテレビに恨みはないし、かといって思い入れもない。べつにどの局の騒動でもよかったといえばそうだ。ただ、あれだけ確固たる存在であったテレビ局が、なくなってしまうかもしれない。そこになんとも言えぬ興奮がある。

 

ネットでは、テレビ局に不祥事があったりすると、思想的に相容れない人たちがすぐに「停波」とか言い出す。そんなことはないだろう。ありうるはずがない、と思って見てきた。だから、おれが今回、倒産だのなんだの言っているのを見て、「ありうるはずがない」と冷静に思っている人もいるだろう。

 

あるいは、世代差などによって、テレビへの興味などによって、おれの仄暗い興奮がまったく伝わらないかもしれない。ただ、おれはすごい一体感を感じる。今までにない何か熱い一体感を。風……なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、おれたちのほうに。そんなふうにおれは浮かれている。浮かれたついでにフジサンケイホールディングスの端株を一株買った。おれは意味もなく浮かれている。