
東京都議選があった。おれは選挙というものが好きなので、東京都民でもないのにNHKの特番を見ていた。石丸さんの新党「再生の道」がたくさんの候補者を出して、全員落選した。石丸さんがインタビューに出てきた。内容については各自調べられたい。いくらでも出てくる。
インタビューが始まって、おれは5秒、いや3秒くらいで嫌な気持ちになった。なんともしがたい不快感が全身を駆け巡る。軽い拷問を受けているようなものだ。「そんなに嫌なら見なければいいじゃん」。事実、それはそのとおりだ。おれは都知事選のときから、石丸さんのネット動画を一秒も見ていない。「これはおれにとって絶対に嫌な気分になるものだから、絶対に見ない」と思って、見なかった。ほんのちょっとテレビで見かけるだけだ。見かけるたびに、自分の「ネット動画を見ない」という判断は正しいのだと思った。
今回も、そう思った。画面越しに、これだけ嫌な印象を抱かせる人間というのは、ちょっとほかに思いつかない。印象というか、もう、生理的に無理なのだ。生理的に無理、というのは、もう理屈でも理論でもなんでもない。お気持ちだ。いや、気持ちの手前の感覚なのかもしれない。とにかくだめなのだ。
たとえば、政治家。おれと政治思想がかけ離れていたり、正反対の人間を見ていて、おもしろい気持ちはしない。発言を聞いていて、「なにいってんだこいつは」と、ちょっといらっとしたりする。反論が頭をかけめぐる。そういうことはある。
だが、石丸さんを見ていると、そういう気持ちすら起こらない。その前に、もう嫌悪感というか、苦手意識でへなへなになってしまう。勝ちか負けかでいえば、完全におれは負けてしまっている。戦うまえに負けている。
それがなぜか説明するのは、ちょっとおれには無理だ。むろん、石丸さんのやり方とか、中身があるのだかないのだがよくわからない政治姿勢についてなにか批判的なことをむりやりに書くことはできる。だが、それ以前の問題として、どうにも参ってしまう。何を言う気も起こらない。
むろん、そんなに人に政治家にはなってほしくないし、政治勢力として力を持ってほしいとは思わない。あくまでお気持ち以上のなにかはない。だから、都議選で再生の道が全員落選したのはよいニュースだった。だが、テレビ画面に石丸さんが出てくるのはバッドだった。
生理的に無理、嫌悪感がある、苦手……。画面越しでここまでというのは、本当に出てこない。反感とか批判的な気持ちの、一歩前なのだ。なぜここまで、というのはさきほど言った通り、説明できない。なにか自分のなかにトラウマになるような思い出があって、その原因が石丸さんに似ている人だった、とか、そういうのもない。ただ、もう、その名前をネットで見かけるようになった最初期から、「絶対におれは不快になる」という確信があって、それはいまも輪をかけてある。
石丸さんを支持する人には、おれの言うことがアンチの印象操作かなにかだと思えるかもしれない。言っておきたいが、そこまで言っていない。アンチになるほど対峙できないし、印象を操作するどころか、印象に完全に参ってしまっている。もしも石丸さんを支持する人のなかで、石丸さんの言動すべてに感動を覚えるという人がいたら、その正反対の人がいるというふうに考えてほしい。おれ以外にこんな人間がいるかどうかは知らないが。
というわけで、世の中には理屈抜きにして苦手な人間というのは存在するものだし、それが画面越しでも強烈な場合があるということを書き残しておく。政治論で石丸さんを批判したい人にとっても目障りな話だろうが、こういう話もある。それだけだ。