都知事選 2024 告示 立候補者は過去最多 午前11時で25人 | NHK | 選挙
任期満了に伴う東京都知事選挙が20日に告示され、これまでで最も多い56人が立候補しました。
56人という数の話をしたい。これは選挙管理委員会の想定を上回る数であり、多すぎるという見かたがある。だが、それぞれの立候補の動機はべつとして、56人は多すぎるのだろうか?
東京都の人口は1400万人だ。1400万人いて、そのリーダー(知事をリーダーといっていいのかはわからないが)になりたいと手を挙げる人間の割合が約0.0004%。計算間違ってないよな?
たとえば、10万人の集団があって、リーダーになりたいという人間が50人いたとするとどう思うだろうか。べつに多いとは思わないのではないか。少なくとも、おれは。
現実的な問題というものはある。選挙ポスターの看板のサイズみたいなことから、政見放送の制作、投票時の一覧表の煩雑さ、あるいは開票作業にも時間がかかるかもしれない。全立候補者への取材をモットーとしている畠山理仁さんも倒れてしまう。
現実的には、多すぎるといっていい。それは認める。もうちょっと意見を集約して、10人くらいが適正なのかもしれない。現実的には。
でも、その集約の過程で切り捨てられてしまうものも少なくないだろう。自分の意見を引っ込めなくてはならない人間が出てきてしまうこともあるだろう。1400万人も人間がいるのだ。50人くらいいてもいいんじゃないのか。
……などと思ってしまうのは、900万人も人間がいるわが神奈川県の前回の知事選挙がこんなんだったからだ。
わずか4人。しかも、なんといったらいいのだろうか、選択肢がない。なさすぎる。これでいいのかと思う。かといって、「じゃあお前がでろよ」と言われところで供託金も払えない。出たところで最下位だ。
そもそも自分が政治家になりたいというわけではない。政治がやりたくて、その志と能力のある人間に託したい。おれにはできない。
それにしても、神奈川県知事選挙でこの4人はなかったな、と思う。「じゃあ、今回の東京都知事選の56人の質はどうなの? メディアで有力候補とされている人の質はどうなの?」と言われると、どうにも答えられない。でも、4人よりは56人のほうがいい。おれはそう思う。
現実的な話で、あくまで1人を選ぶ選挙に56人が多すぎるというなら、なにか予備選挙のようなものがあってもいいだろう。アメリカの大統領選挙なんて、あの人口に対して実質2人だ。でも、そこに至るまでいろいろやっている(それでも実質的にたった2つの政党のことではあるが。二大政党制がいいのかどうかはわからない)。まあとにかく、一定数の推薦者がいる人間が本選挙に進める。せめてそれでどうだ。あくまで人の支持だ。
これを「冷やかしを減らすために供託金をさらに上げよう」としては絶対にいけない。今ですら高すぎる。与野党問わず、現職の政治家、政治団体に有利すぎる。世襲候補に有利すぎる。
というわけで、おれはあくまで現行の選挙制度(あるいは現場の運用)上のこと、あるいは今回の現実の立候補者たちが本当に知事になりたいのかという問題はべつとして、1400万人に対して56人は、人数として上等じゃないかと思う。
比較的大きな国の政治、民主主義というのは、ちょっと事前の意見の集約と、既得権益の強さがいきすぎている気がする。これは政治学をやったこともない一市民の「気がする」に過ぎないが。
ともかく、世の中には頭のいいやつも悪いやつも、性根のいいやつも悪いやつも、常識的とされるやつも非常識とされるやつもいる。強いやつも弱いやつもいる。いろんな人間がいる。いろんな人間がいることを、いないことにするのは許されない。自分を常識的だと思っている人間が、自分が非常識だとみなす人間を最初から排除することがあってもならない。なにが常識的かなんてわかりはしない。
わかりはしないならどうするのか。選挙で決めればいい。少なくとも今はそういう政治体制でやっているのだ。今はそれしかない。
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