またまた寄稿いたしました。
自民党総裁選の翌日というのは偶然だと思います。
選挙の話になります。
お読みいただけましたか?
……というわけで、この本の感想のようなものになっています。
上の記事にも書きましたが、著者の畠山理仁さんのこの間の横浜市長選のレポートが面白く、これは賞もとったというこちらの本を読まねばと思った次第。横浜市長選挙でもやけに全候補取材にこだわっているなと思ったら、元から「無頼系独立候補」、いわゆる「泡沫候補」を取材されてきた方なのですね。
それで、上の寄稿記事の繰り返しになるのですが、このブログでも書いてきたとおり、おれは泡沫候補と呼ばれる人たちを馬鹿にできないのです。もちろん、素っ頓狂な政見放送を見れば笑ってしまいますし、変な選挙ポスターがあれば見てみたいと思います。興味本位なところはあります。
けれど、やはり高額の供託金を用意して、なんの組織も持たず、一人立つ彼らは立派だなと思うのです。立候補だって、供託金以外にいろいろの書類提出などのハードルが高いといいます。それを乗り越えた人たちなのです。それでも、大政党をバックにした有力候補とは報道で差をつけられ、テレビでも「そのほかにこちらの方々も立候補しています」と名前が一瞬映るだけ。
これ、不公平だ。
と、そんな不公平を、なんと天下の自由民主党の総裁選挙でもちょっと見ました。たぶん、総裁選の立候補者が出揃った日の記者会見だったと思います。自分は途中から見たのですが、どうも全員一律の質疑が終わり、記者が自由に回答者を指名しての質疑に移ったあたり。質問が、岸田文雄さんと河野太郎さんに集中していたのです。これは、記者の一人が他の二人、高市早苗さんと野田聖子さんに謝っていたくらいなのですが、とにかくそのとき有力と目されていた二人に質問が集まった。
これを見て、「立候補者が四人しかいない、実質的に次期首相を選ぶような選挙でもこうなるのか」と思ったものです。これで高市さんと野田さんが「黙殺」される候補の気持ちがわかった、とは言いませんが、なぜかそんなことを思ったものです。
<閑話>
ところで、総裁選初めは上記のように岸田、河野が有力と目されていたのだが、情勢は変わっていった。いろいろあって高市支持の流れが党内でも党外でも起きた。とくに右の人たちが高市推しになった。新聞に載っている右派系雑誌、「Hanada」とか「WiLL」とか、そういう雑誌も見出しで高市大絶賛支持、河野叩きみたいなのが目についた。そこでちょっと思ったのだけれど、もしも河野太郎首相誕生になったら、これらの雑誌はどうするのだろうか、と。河野太郎批判≒自民党総裁批判≒自民党批判をし始めるのか。維新か国民民主党でも推し始めるのか。あるいは、掌返しで河野太郎を賛美しはじめるのか。その一点だけで、「河野太郎が総裁になったらおもしろいな」とか思ったりした。個人的に岸田が一番まともな政治家に見えたので、結果としてはよかったけれど、そんだけ。もともと自民党支持者じゃないし。
</休題>
とはいえ、「無頼系独立候補」がそのまま政治に関わらないで消えていくとは限りません。自分が読んだのは単行本だったので、文庫版では加筆されているかもしれませんが、立花孝志は「NHKをぶっ壊す」だけで国会議員になった。なってすぐに辞めて、いろいろ迷走して、またもとに戻ったと言えるのか、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」の党首として話題を振りまいています。
各党の支持率は NHK世論調査 | 選挙 | NHKニュース
というか、2021年9月13日にNHKが報道した支持政党の世論調査でこんなことになっていました。
「自民党」が37.6%、「立憲民主党」が5.5%、「公明党」が3.6%、「共産党」が2.9%、「日本維新の会」が1.1%、「国民民主党」が0.2%、「社民党」が0.6%、「れいわ新選組」が0.4%、「NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で」が0.2%、「特に支持している政党はない」が40.2%でした。
なんと国民民主党に並んでしまったのでです。いや、国民民主党が落ちてきただけかもしれないが。がんばれ国民民主党。
ほかにも、本書でとりあげられていた中川暢三さんも、長らく無頼系だったが、加西市長になったり、大阪市北区長になったりしています。
この中川さん、長野県知事選挙では「逆街宣戦」とかいって、自分が車で走り回るのではなく、交差点を徒歩で移動して、やってきた車に次々挨拶する作戦を展開していたらしい。そういうところから、本当に政治家になることもあるのです。
ほかにも『黙殺』でとりあげられていた人から、どこかで当選した人もいるでしょう。
……というか、一番ページを割かれていたマック赤坂を忘れてはいけない。最後の戦い(といって信じられるかどうかわからないが)としてのぞんだ港区議会議員選挙に当選して、区議会議員になりました。
でも、だ。はたして当選ということが彼らにとって本当の勝利なのかという、妙な疑問も浮かんでしまいます。中には「自分のようなしょうもない人間が立候補しているのを見て、自分の方がマシだと思う人に立候補してほしい」という目的を持つ人もいるのです。その心中はわからない。でも、やっぱり、当選はいいことでしょう。
有力政党や団体のバック、あるいは芸能人などの名前が売れた人ばかりが、当選するのはおもしろくない。世襲議員ばかりになってしまったら、民主主義の国と言えるのかという気すらしてしまう。
だから、彼らのような人は、尊敬に値するのです。もちろん、おれと価値観や政治思想的に相容れない人もいるでしょう。寄稿記事でもこの記事でもそれについては触れません。
「ただ、立候補したというだけで尊敬するのか、そんないい加減なことでいいのか」とお叱りを受けるかもしれません。「あんな連中ふざけているだけだ」という人もいるかもしれません。しかし、そういう意見に対して、「ならば、なぜ君が立候補しないのか?」という話になったらどうでしょう。ほとんどすべての人が、いろいろの理由をつけて立候補しないでしょう。自分だってできない理由は100個くらい見つけられます。そして、その困難を排してまで独立無頼系候補として立つ理由は見つけられません。
でも、そればかりではいけないのです。やはり「あんなふざけた連中より、自分が」と思う人間が一万人に一人でもいないといけない。そうでなくては、民主主義が終わってしまう。まあ、もちろん、独立無頼系で戦わなくてはいけないということでもなくて、どこかの政党に入るとか、立候補者募集に応じるとかでもいいんですけれど。というか、おれ自身そこまで政治的に民主主義を一番に置いている人間かというと、微妙に怪しいところもあるのですが。
もちろん、立候補するばかりが政治活動ではありません。現に、この間の横浜市長選挙では、弁護士の郷原信郎さんが立候補表明から一転して落選運動をはじめた。そういうコミットの仕方もあります。もっとハードルが低いところでは、Twitterでちょっとつぶやくことだって小さな政治活動でしょう。
でも、あえて、今は立候補した人たちを讃えたい。もう少しすると大きな国政選挙もあります。そこに独立無頼で戦いを挑む人たちを讃えたい。そんな気持ちです。
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……これはコロナもあって映画館で見逃した。本流の国会議員になっても先は果てしない。