さて、帰るか

blog.tinect.jp

goldhead.hatenablog.com

昨日の話のつづきというか、脳内で政治のことなど考えている。

投票というのは、なんか自分の考えに似ているとか、一緒だとか、あるいは自分の利益のなることをやってくれそうだとか、そういう人をまずは選ぶものだろう。

そうでなければ消去法とか、「あいつはもっと嫌だから、それよりちょっと嫌ではないけど嫌なやつに入れる」とか、「まったくわからんので右から二番目を選ぶ」とか、あるだろう。

まあともかく、議員いうのはいろいろな属性を持った人々の代表という側面がある。農業の代表者、漁業の代表者、医師の代表者、オタクの代表者、NHKをぶっ壊したい人の代表者……。

あるいは、たとえばれいわ新選組の舩後靖彦議員はALS(今日、画期的な治療薬ができるかもしれないという記事を目にした)の代表者という側面もあるだろう。もちろん、同木村英子議員とともに重度身体障害者、ひいては障害者の代表者といえるかもしれない。

と、ここで思うのである。おれは手帳持ちの精神障害者である。ならば、精神障害者の代表は国会にいないのか、と。……と、調べてみたが、身体障害者の議員、という話は出てきても、精神障害者という例は見つからなかった。ざっと調べただけでわからないけれど。

まあ、適応障害になるとか、睡眠障害になるとかいう一過性の例はあるようだ。

というわけで、精神障害者を国会へ!

……って、難しいかな。なんというか、自分は自分のことしか語れないが、なんとなく、そんな感じ。たとえば重度の抑うつ状態になった人間を無理やり布団から引きずり出して、こう、両脇を抱えられて椅子に座らせて、でも、議場で伏せってるだけで、みたいな。まあ、いろいろな障害の種類もあるし、服薬によってほとんど健常者と変わらない生活を送ることのできる人もいるので、これははっきり言って偏見。いずれは出てくるかもしれない。

あと、前にも書いたと思うけど、おれが政治家になってほしいのは、「政治家に向いてないやつ」なんだよな。

いや、倫理的に向いてない、遵法精神において向いてない政治家ならいくらでもいるが、そういうんじゃなくて。

なんつーのか、とにかくやる気がない。人前で意見を言うどころか、話すのすら無理。知らない人とも会いたくないし、なんなら人と会うのが嫌。ずっと一人でいるのがいい。敵も嫌いだが、味方も嫌い、人間が嫌い。できることなら、なんにもしたくない、社会性の根本が欠けている、やる気のない、活発でない、そんなやつ。ひたすら活動的でない人間。そんなやつ。

「そんなやつ」、けっこういると思うんだよ、この世の中。どうも、この国の政治を見ていると、政治家が画一的だ。みんな似たような連中ばかりだ。これは、「自民党世襲議員の似たようなやつばかりだ」とか、「共産党はくそまじめな似たようなやつばかりだ」ではなく、自民党共産党も議員全部みんな似たようなやつばかり、ということだ。

議員というのは、なんというか、やはり議員として最低限それなりにやれるやつばかりだ。みんなスーツとか着てさ。活発だよ。活動力がある。なんか特殊なやつといえば、このごろでは立花孝志くらいだが、そんな立花だって、やっぱりやる気に溢れた、活動的なやつだ。方向性はともかく、活発だ。

でも、やる気のないやつは、やる気がないから、やらないんだよな。やらないやつの代表を国会に送り出したいといっても、やらないとやれないから、当選どころか立候補すらできないんだよな。でも、やる気のないやつはこの世にたくさんいるんだから、やる気のないやつの代表がやる気のなさを前面に押し出して、いやいや議員やってるみたいな、そういうのを見たいんだ。いや、実際のところやる気もないのにやってる二世議員とか、真面目に政治に取り組んでない議員とか、けっこういるかもしれないけど、それともちょっと違うんだ。それでも議員になれるレベルの活動はしてきたはずだ。そこに至らないレベルのやらなさを求めたい。

なんつーの、やる気のあるやつばかりが政治してたら、やる気のあることが前提の国になってしまうじゃないか。やる気、負けん気、いわき。そんなん疲れる。ぐうたらしていましょう、かったるいから寝ていましょう、べつにそれでいいじゃないの、という反成長とも次元の違う駄目さを国政に取り入れたい。右でも下でも上でもない、下向きの政治。どうですか皆さん、今は金曜の夕方だが、土曜が来て、日曜が来たら、もう憂鬱な月曜日が待っている。うんざりしちゃうよな。

というわけで、おれ以外のだれか、やる気がないやつ、立候補してくれ。面倒くさいけど、投票に行って、おれは一票入れてやるよ。

さて、面倒くさいけど、帰るか。

 

 ところで、花田清輝よ、蜘蛛の巣のかかった何処かの隅にいるのんべんだらりとした革命家は、いったい、如何なるところから生じたのか。その答えも、最も単純である。それは、彼が革命家だったからである。彼は、革命家となった彼の原則を最後まで貫こうとしたため、のんべんだらりとした革命家として、ただ未来のみを唯一の同盟者としてもつことになってしまったのである。彼は自身を未来の無階級社会よりの派遣者として感じている。しかし、彼のもつ革命方式が組織の中で凄んでみせる革命家たちの方式とあまりに違うので、彼はその生存の時代の実践のなかに席を持つことができず、何処か蜘蛛の巣のかかった古ぼけた隅におしこめられてしまったのだ。このような疎外者を、歴史は異端者と名づけるのだろう。異端者とは、何か。権力を握らぬもの、または、権力を握り得ぬものである。それは非権力者から反権力者に至るまでのすべてを含む。つまり、異端者とは、メフィストフェレス、破門者、反抗者、単独者、デカダン、自殺者、不平家、あまのじゃく、孤独者、潔癖家、予言者、警告家、空想家、おせっかい、おっちょこちょい、こまっしゃくれ、道化、独善家、芸術者、逃亡者、等である。

 

永久革命者の悲哀埴谷雄高

 

……花田清輝花田十輝のおじいさんです。