横浜シネマ・ジャック&ベティにて『No 選挙, No LIFE』を観た。
畠山理仁さんの仕事と、政治と、選挙については、以前に書いたので、そちらを読んでほしい。
わが地元、横浜市長選挙の「全候補者リポート」を読んで、その存在を知った。きっちり「全候補者」やなあと思ったら、「全候補者」というのは、畠山さんのポリシーだったとあとに知った。おれはその姿勢にすごくすごく感じ入った。そして、無頼系独立候補(泡沫候補)のあり方にひどく感動した。
……ということは、上の二つの記事で書いたつもりなので、映画の話だけする。
この映画、テレビで放送したドキュメンタリーの拡大版、ということになる。おれは女の人に、「ぜったいに面白いですから」と太鼓判を押して誘った。おもしろいのはわかっとる。
では、映画で増えた要素はどこだろうか。「トップガン政治」の中川さんの真の力だろうか。それもある。公明党に対して強く意見を述べる創価学会の人だろうか。それもある。だが、いちばん「これか」と思ったのは、立候補しなかった人の話だ。
たぶん、テレビではなかった、立候補しなかった人の取材シーン。沖縄県知事選で、立候補しなかった人の話。それはしごく真っ当であり、あるいは素っ頓狂であったかもしれない。古希だけどでかいバイクで颯爽と去っていく。でも、しかし、そこなのだ。無頼系独立候補というけれど、立候補するだけの資金と実行力がある。この映画で取り上げられた立候補しなかった人は、立候補するだけのどちらの力もあったとろうとは思うが、しなかった。しかし、「NO選挙、NO LIFE」と銘打った映画で、立候補しなかった人もとりあげる。そこがいい。
この映画で無頼系独立候補の真摯さ、真面目さに気づく人もいるだろう。おれはそれをわかっているつもりであった。だが、その背景に「立候補しなかった人」もいる。広い意味でいえば被選挙権のある人のすべて、あるいはおれだって「立候補しなかった人」だ。被選挙権のあり方というものの前提はともかくとして、ほんらいは、広くそうであるのに、すっかりそのことを忘れている。立候補する人は、既存政党に属する人か、ちょっと奇特な人というイメージに凝り固まっている。あるいは、既存政党に属する人、だけが立候補者という思いを抱いてしまっている。それじゃあ、いかんのだ。
「NO 選挙、NO LIFE」は、立候補者であるかもしれない自分も考えなくちゃあかん。おれも、あなたも、もしなんかの選挙に立候補したら、どんなことを演説するだろう? それを必ずしも用意していなくてはならない、とは言わないが、たまには想像してみることもいいだろう。その内容は、どんなものだろうか。当たり障りのない保守的な意見か? リベラルな意見か? それとも、「バレエ大好き党」くらい偏ったものだろうか?
立候補しなくてもいい。沖縄の選挙戦では、「ほんらい違法であるのぼり」を非難するだけの人もいた(しかし、非難の相手が玉城デニーだけだったのはよくわからない)。そういう形で政治に参加することもできるだろう。もし、そういういことをするとしたら、どうする。そんな問いかけもある。
政治に対して、冷笑的でいられるだろうか。いていいのだろうか。そんな思いにさせられるのだ。人によっては、映画でとりあげられている比重から、リベラルの方に肩入れしていると見えるかもしれない。でも、よく見ればそんなことはないだ。そのバランス感と、民主主義に対する真っ直ぐで、全面的な姿勢がある。
それゆえに、ある政党が「フリーランスの人の動画取材は禁止」とあとから言ってきたことに対し、おそらくはめずらしくひどく怒りの感情をあらわにした畠山さんがいる。国政政党になったところで、そういうことをするのか、と。これはテレビ版ではなかったシーンかと思う。
そういう意味では、おれのなかでNHK党(いま現在の名前はよくわからない)は惜しい存在だった。諸派連合、のようなもの。ワン・イシューの集まり。無頼で独立を、政治ビジネスで支援する。その根本がどこにあるか、正しいのかわからない。だが、あくまで表向きはNHK党から出ている候補のワン・イシューに、尊敬するべきものを見たことはある。立花孝志という人の本質はわからんし、あまり信用していないところはあるが、なんかやろうとしていたことに、悪くないところはあったと思うのだ。
しかしまあ、本当に、選挙しなくてはいけない。映画では、保守(というか右派)が躍進しているのは、リベラルとされる人々は勝手に選挙に行くから掘り起こすところがなかったと語られていたが、そういうところだ。保守でもなく、リベラルでもないところに、ブルーオーシャンがあるかもしれない。そう信じなくてはやってられない。
とか思っていたら、こんな話題を目にした。
菅直人の長男出馬、4月19日のコイツのオヤジのツイートをご覧ください - Togetter
この「長男」、むかし国政にも出馬していた。というか、この映画の冒頭で、過去の資料をいろいろ出すシーンで、選挙ポスターが出ていた(あと、フサイチの関口房朗がフェラーリで選挙活動していたという話もあったが、まあいい)。
世襲も、あれよな。立憲民主党は世襲に対して厳しい立場をとって、法案も出したばかりだ。
公平期すため親族への引き継ぎを制限 政治資金世襲制限法案を衆院に提出 - 立憲民主党
立憲民主的な基準では、この菅直人の息子さんの立候補は問題ないということになる。まあ、直接に地盤を受け継いだ国政選挙でもないし、という見方もあるだろう。だが、しかし、という自分もいる。選挙に入れ込む人間が、政治家の子どもであっておかしいことはないし、それをぜんぶ制限するのは基本的ななんやらに反するだろう。しかし、なんだ、政治「家」となっては、なにかおもしろくない。
だからなあ、なんだろうか、やはり今の日本の供託金は高すぎるし、志のあるだれかが立候補するのにハードルが高すぎる。そう思う。映画を見た女の人もそう言っていた。でも、ベルリンの壁を崩壊させた超能力者が当選したらどうしよう、とも言っていた。ああ、でも、なかなか超能力者は立候補しないし、当選もしないだろう。むしろ、超能力者が気軽に立候補できるくらいがいい。おれはそう思う。どうだろうか?
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