神奈川県議会議員・県知事選挙 候補者情報 - 神奈川県ホームページ
おれはたぶん選挙権を得てすぐの一度のなんとなくの例外を除いて、選挙となれば投票を行ってきた。
……と、一つはっきりしておきたいが、「投票だけが民主主義における人間のとるべき行動である」とは一切思っていない。投票に行かないという意思表示もあるし、白票、無効票をつきつけてもいい。投票所を爆破してもいい。むろん、爆破しても「いい」というのは人間の自由という広い意味においてであって、罪に問われなくてよいという意味ではない。罰せられなくてもよいという意味ではない。おれは人間の自由が法や秩序、常識より先行すると言いたいのである。その結果死刑になってもそれはそれで自由だというだけだ。
偉大なる大杉栄はこう言った。
僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。
精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生れたままの精神そのものすらまれだ。
この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。
社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。
僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。
思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。
……まあ、それはどうでもよくて、おれは選挙が好きだ。同じ党が分裂選挙になって内輪もめするのが好きだ。想像通り共倒れになった時など心がおどる。勝ち目のない泡沫候補が選挙公報に細かい手書きで思いの丈を書き込むのが好きだ。政見放送で既得権力者たちにまっとうな疑問をだれよりもまっすぐにぶつける様など、清々した気持ちになる。
まあいい、ともかく、今回の選挙はどうだ。ここまで「だれにも投票したくねえ」と思う選挙は珍しい。たとえば、神奈川県知事選で「盤石の現職対共産党だけが推薦するだれか」という一対一でも、ここまでテンションは落ちない。そのくらい、よくわからないくらい、どうにもテンションがあがらない。理由はよくわからない。いや、なんか理由もあるのだろうが、理由に見合ったほどの落ち方ではないのだ。
よろしい、ならば投票に行かないという方法をとる。いや、たぶん、行くだろうな。ひょっとすると、白票を投じる可能性はあるかもしれない。だいたい、基本的に、今の与党は嫌いだから、そうでない候補に入れればいいだけなのだけれど、そうでない候補にもなんか嫌な感じがあって、与党に入れる気はないけれど、野党に入れたいという気持ちがかなり減衰しているのである。おれにとって、今の野党は、どこもそのくらい魅力がない。一方で今回、自分のところでは独立無頼系候補でこれという人も見当たらない。
つまらない。まつりごとはおもしろく、盛り上がらなきゃやってられない。このまま神輿を担ぐものがいなくなって、それでも神輿は一人で歩くのだろうか。そんなことすら考える。いやはや。