日本史上、外国史書に初めて名を残したの誰だか知ってた?

寄稿いたしました。

blog.tinect.jp

おれのなかで、古代日本ブームがちょっと来ました。

読んでいただけると幸いです。

読んでね。

読んだ?

読むんだよ?

 

で、タイトルなんだけど、上の記事の本題とは関係ないんだけど、「帥升」って知ってた? まあ、「日本」史上であって、当時日本はなかったから倭人、ということになるんだろうけど。

ja.wikipedia.org

しかも、さらに言えば、倭人かどうかもわからない。渡来人かもしれない。あと、名前かどうかもわからない。師升かもしれないし、役職名なのかもしれない。

わからんこと、だらけだ。

あと、わからんのは、おれが四十年生きてきて、初めて知ったということだ。倭の五王すら知らんかった。おれが日本史の授業で寝ていたのか、教科書に載っていないのか。正直、あまり日本史にも興味なかったな。邪馬台国がどこにあってもいいじゃねえか、みたいな。

でもなあ、やっぱり中国の歴史は長いよな。そりゃ白村江の戦いでボロ負けするわ。しかし、まあ、向こうが歴史書を残しておくタイプの国だったから、いろいろ残ってる。ありがたいことだ。そんでもって、伝聞とか書き写していくさいのミスとかあるだろうけど、基本的に、そんなにわざわざあえて倭国のことを脚色したり、嘘を書いたりする必要もないから、だいたい信じてみてもいいんじゃないのか、ということになる。そんでもって、国使が来たりすれば記録するし、それをこっちの歴史書(基本的に『日本書紀』ということになるのか)と突き合わせたりすることができる。そのあたりは、なんというか、おもしろい。

で、となると、後に隋の裴世清が日本に来たとき会った大君は女帝の推古天皇のはずなのに、その記述は男であった。これは、どうなるの? とか、そういうことになる。興味深い。

そのあたりについては、次の寄稿記事に書きました。あ、もう、みんな興味なくても、おれはいま、日本古代史というか、飛鳥時代とか、そのあたりに興味あるので。だれも読まなくても書く。寄稿したテキストがそれでいいのかどうかという話は知らない! 好きなこと書く。書ければいいな。そんだけ。ほな。

AIに描かせた「日本の古代遺跡」。