星とか追ってる場合じゃねえだろ〜『星を追う子ども』〜

 冒頭、主人公のひーちゃんの(『イカ娘』のラジオが終わってしまってすごく残念)秘密基地みたいなところで、古い本が何冊か見えるんだけど、東洋太平洋戦争の戦記物らしき背表紙数冊と『共産主義の思想』みたいなタイトルが一冊。ひーちゃんの本とは思えないし、あるいはこの秘密基地の前の持ち主のものやもしれぬが、一貫性がなくておもしろくない。対空陣地かなにからしいのだから、そういうのが好きな男子高校生あたりが戦記物片手にグラマンを撃つ妄想にふけっていたとか、そういうあたりで統一したほうがよかったんじゃないのか。このあたり、『コクリコ坂』で徳間書店を描いてみせたジブリにはかなわないといえる。
 というか、その後しばらくこちら世界の描写を見ていて、いったいこれは何年代の話なのかさっぱりわからず、異世界に行こうがそのあたりが心の中でひっかかって邪魔になってしまった。ひょっとしたら、とてもリアルな考証を経ての結果かもしれないが、そうだとしても「この頃か」という納得のようなものがおれの中に生まれなかった。
 まあ、そんなことはどうでもよろしい。異世界、地中世界への旅である。俺は澁澤龍彦が好きなのだし、彼の紹介するそういった話が好きなのであって、悪くはない設定だと思った。思ったが、簡単に行きついてしまい(類推で終わった『類推の山』のようでもなく)、また、あまり未知の世界を旅する風でもなく(『リングワールド』の手探りのように)、なんとなくしょうもないなと思えた。
 と、思いきや、完全にタイトルにある「子ども」を置き去りにして、亡き妻にひたすら執着するおっさんに感情移入してしまったのでそんなのはどうでもいいかな、という気にもなった。おれはおれが認める限りにおいてネトラレ好き者だが、おれのNTR概念を拡げきった場合の地図の端っこの方には「死別」というのも含まれていて、おれはそのようにこれを見ていたのであった。悪くない。
 というわけで、この監督になにかを求めるとすれば、なんかもう、直球のNTRをブン投げて欲しいし、それに身もだえしたいと思うのだ。ほら、大成建設のCMだって、なんか「海外出張→NTR」みたいな流れが連想されるさ。されねえか。おしまい。

関連ヽ(´ー`)ノ