『心を生み出す遺伝子』を読んだ……か?

心を生みだす遺伝子 (岩波現代文庫)

心を生みだす遺伝子 (岩波現代文庫)

ミツバチが太陽をガイドとして使うための複雑な神経回路はもって生まれたものであるが、これは遺伝子が環境に勝る(あるいはその逆)というわけではない。そうではなく、遺伝子は特定の環境をその生き物が賢く利用することを可能にしているのである。学習は生得性の対極にあるのではなく、生得性がもたらす最も重要な産物の一つである。

「生まれつき」であることは、柔軟性がないという意味ではない。経験に先立って構成されている、という意味なのだ。可塑性から言えることは、胎児が脳の初期の構造を作る際に経験が必要であるということではなく、むしろ、初期の構造はその後経験に応じて変化しうるということである。

薬理遺伝学が個人特有の遺伝性理学に合う薬物を見つけることを目的とするように、治療遺伝学(これよりよい言葉がない)という新しい分野は、個人特有の遺伝的性質を利用して、カスタマイズされた社会支援を処方できるだろう。運命の硬直した支配者ではなく、豊かな機会を提供するものとして遺伝子を理解するようにつれて、育ちを最大限利用する手段として、生まれに関して増大する知見を用いることができるようになる。

 生まれか(遺伝)? 育ちか(環境)? の二元論に対して、そういうもんじゃねえんだよ、って言ってる本……だろうと思うような気はする。というのも、この本はおれにはむつかしすぎる話が多すぎるということに尽きる。ただ、おれよりいくらか賢い人にとってはよきガイドブックになるんじゃあないだろうかという気はする。どうしてわかりもしないおまえにそんなことが言えるのか、と問われたら、返す言葉もございませんが。
 まあ、もちろんこれはおれの中のブームである(だんだん飽きつつあるが)進化心理学、あるいはおれ自身の精神疾患をめぐる物語(物語?)についての一環として読んだわけだ。そもそも心というものがあるから病むのだ。病むべくして創られながら、健やかにとなんとやら、なのかどうか。さて、心はいかに生み出されるものか。おれにはわからなかったので、この本でも読まれたい。
 して、次なる興味が生まれた。心とも進化とも重大なる関係のあるもの、化石には残らないもの、すなわち「言語」の発生。「両義的な文」と、「対照的でない」、「心語」があるんじゃねえか、と。そのbankは銀行か川岸か競輪場か。言語の再帰性となんだ? ……あ、いかん、これはたぶんますますおれの手には負えない。だいたいおれは自分の限度というものを知っている(つもりでいる)。チョムスキー? とか出てきたら、これはもうあかんやつや、ということだ。
 かといって、いかにも俗っぽい心理学の本などには手を出したくないというか、新聞記事が適当に書き立てる(掻き立てる?)「○○の遺伝子発見!」だのなんだのという話にはどこか鼻白むところがある。まったくやっかいだ。とはいえ、世の中の人間は少なからずそういうところがあるものだろうし、情報の送り手も「素人にもわかりやすく」と「はしょりすぎて正確性を欠く」の間で苦しんでることだろう。いや、そうであってほしいものだが、と。おしまい。