おれは野垂れ死ぬおれは日に日に死につづけている

f:id:goldhead:20140625220030j:plain

死んでしまえばあとはどうとにでもなるものなのだし、おれには知った話じゃないのだけれども、死ぬ瞬間のことを考えてみるとやはりこわさというものから逃れられない気がしてならない。

おれがたとえおれの死を能動的に選択したとしても、あるいは突発的に襲われて、その気がないのに死ぬのであれ、やはり死ぬ瞬間というのはおそろしいもののように思われれる。もちろんおれは死んだことがないので、過去の予防注射や虫歯の治療みたいな意味で死をおそれてるわけじゃない。

たとえ家族に見守られていようがなんであろうが、死というものは一人で受け入れるほかないものだという話もあるが、やはりおれが死ぬときは家族にも見守られないで一人で死ぬのだろうという予感はある。予感なんてものよりも、もっと確固たる予測、推論、そういったものだ。

死に耐えうるべく生きるということがありえるのかどうかわからない。一度きりの生を、いきいきと生きる。そういうことがおそろしい死に対する一番の抵抗かもしれない。しかし、おれはいきいきと生きることのできない人間だ。つねに不安が脳を支配し、動悸はおさまらず、胃まで痛い。いくらレキソタンを飲んでも、アロチノロール塩酸塩を飲んでも、タケプロンを飲んでも、根本的な解決にゃなりゃしないんだ。

おれが突発的に死ぬことになったり、死を選ばないとすれば、おれが知っている人間、おおよそは家族だの親類だのの死を先に見ることになる。やがておれ一人になる。おれには妻もいなければ子もいない。生きていけるだけの日銭を稼ぐ能もないし、老後などというものが来たところで衣食住を満たすだけの年金もありはしない。

おれは野垂れ死ぬ。

おれはなにもできなかった人生を恨みながら死ぬのだろう。おれはなにもできなかった人生を嘆きながら死ぬのだろう。おれはなにもできなかった人生を後悔しながら死ぬのだろう。

人生に喜びはなく、死に救いもない。かといって永遠に生きられるわけでもない。おれはもう老いに向かって歩き始めている。なにをするにももう遅すぎる。なにをするにもそもそも才がない。金なんてどこにもありゃしない。金を稼ぐためになにをしようという気すらおこらない。おれは金が大好きだし、必要としているけれど、自分が金を稼ぐという話は大嫌いだ。おれはそれに見合った生活を送っている。細い糸が切れれば衣食住ぜんぶをなくす。

いったいこれはなんだったんだ? いったいこれはなんなんだ? 悪い冗談でもない。話を盛った愚痴でもない。驚くほどにシンプル。見間違うことなきストレート。生きるに値しない人間がここまで生きてきてしまったこと。どこで誤ったのかもわかりはしない。生まれてきたことが誤りだったとしか言いようがない。この歳でそんなことをあらためて思う愚かさ。しかし、そうとしか言いようがない。愚かなものは愚かだ。おれがいくら人間の愚かさを愛したところで、一銭の見返りだってあるわけがない。こんな人間が、現にここに居る以上、こういう人間があらたに産まれるなんてこと、見ちゃいらんない。

おれは野垂れ死ぬおれは日に日に死につづけている。恨み、嘆き、後悔しながら、薬を流し込んで生きているふりをしている。この世の片隅に自分のささやかな居場所が用意されているなんて夢は見られない。夢を見るために覚醒剤を買う金もない。笑いごとじゃない、泣ける話でもない。負の感情の海でおれは暴力の夢さえ見られない。減衰する。破滅する。ただ静かに消える。