ゴミみたいな人間が読んでも胸糞悪いだけ 田中圭一『うつヌケ』

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うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

うつヌケ うつトンネルを抜けた人たち

 

おれは田中圭一のファンである。『神罰』だって最初に単行本で出たときに買った。ネット上で公開されている漫画(『ペンと箸』)だって面白いし、本人がたまにTwitterに投下するネタだって好きだ。

が、この『うつヌケ』は、世間の評判とは裏腹に、どうも読んでいて胸糞悪くなった。だって、紹介されている人間が、人類の上位2%、多く見積もっても5%くらいに入るような人ばかりなのだもの。

ともかく、仕事ができる、特別な才能がある、成功を収められる、それだけのスペックがある人間ばかりだ。「無理をしなくて休んでいいんだ」で休む金銭的な余裕がある、あるいはよりどころになる親だの配偶者だの、家族がいる。そんな上流の人間が大うつ病性障害だの双極性障害だのになって、回復しました、回復の途中にあります、そんなん知るかよ。

おれみたいにこれといった仕事のスキルも、なんらかの才能も、やる気も、頼りになる家族もない、単にキモくて金のないおっさんからしたら、まったく参考にもなんにもならない。仕事を休め? 給料も出ない零細企業勤めにそんなこと無理だ。日銭を稼いでなんとか食ってるんだ。本当だったら精神科医に通う金、薬の金だってどうにかならんか思うてるんだ。だいたい休職制度ってなんだ? そんな恵まれた大企業に勤められるだけで勝ち組だ。働かなければ、食えない、食えなければ死ぬ。選択肢なんてあるものか。何度でも言おう、向くが向くまいが、ともかく眼前の仕事をしなければ、自死か路上か刑務所か、この三択だけしか存在しない。時間が解決になる? そんな時間がどこにあるんだ。その日暮らしだ。抗精神病薬を酒で流し込んで、生きるに値しない生を、死ぬのが怖いというだけで生き続けてる、そんなんだよ、おれは。

しかしまあ、冒頭で著者が「ただひとりでもいい」と述べているのは誠実だ。仕事の能力、金になる才能、頼れる家族がいる、人類の上位5%くらいのなかの何%かの人間にとって、本書は役に立つものになるかもしれない。とはいえ、95%、まあスタージョンの法則からいえば90%のゴミみたいな性能しか無い、おれのような人間、おれのような精神疾患者(おれは双極性障害II型の診断を受けています)には、役に立たん。むしろ、なにか、同じ人間なのに、同じ精神疾患の人間なのに、ここまで差があるのかと絶望するしかない。

無能な人間に生活の余裕はない、休む余裕はない、おまけにおれは金がない、頼れる親類もいない、なにもない。さらには睡眠時無呼吸症候群に、おそらくは群発頭痛、どうしてこんなものが生まれてきてしまったのか理解に苦しむ。理解に苦しむが、理解はしている。こんなものが再生産されてはならないということを理解している。そして、死後脳の検体でほんのわずかに世の役に立とう。そのくらいしかできることはない。おれがこの地獄をヌケるのは、生から解放されるよりほかない。

 

追記:新語・流行語大賞に「うつヌケ」ってあるのと、おれがこれを今日読んだのは単なる偶然です。

 

補足のようなもの:

海芝浦傷心旅行 - 関内関外日記