躁転したかもしれないし、していないかもしれない日

 

 

 

 

 

 

というわけで、一週間前までさかのぼるのが面倒なので遡らないが、先週はじめからおれは鬱側に落ちていた。おれは双極性障害躁うつ病)なのだ。思えば、年末年始が少しおかしかった。躁気味だった。

 

あ、「そんな短期間で入れ替わるの?」とお思いのあなた。その疑問はたぶん正しい。たぶん正しいが、おれはたぶんラピッドサイクラーと呼ばれる躁状態鬱状態の行き来の激しい人間で、それもとんでもなく激しいタイプだ。

 

とはいえ、おれが双極性障害であることは精神科医も認めるところであって、行政から障害者手帳ももらっている。おれ自身がおれを認めるのは、「双極性障害に効果のある抗精神病薬が効いている」という事実である。

 

その薬、今はラツーダ(ルラシドン塩酸塩)だ。ほかに統合失調症に効くというけれど、おれに統合失調症の症状は出ていない(たぶん)ので、残るは双極性障害だ。

 

双極性障害には二つタイプがあって、おれはII型という躁と鬱の波が激しくないほうだ。だいたい軽躁状態というものがふつうの人のふつうの状態くらいで、だいたい症状というと抑鬱に出る。

 

抑鬱の原因が双極性障害なのはわかっている。わかっているので、会社にも行く。無理してでも行く。少しでも働く。どうせ、躁転するのがわかっているのだから。これ以上ひどいことにはならない。それがわかっている。

 

が、それでいいのかどうかちょっとわからない。なにせ、双極性障害抑鬱状態でも無理して働いて躁転を待つ、という症例だか事例だかがあまり見られないからだ。おれはおれで人体実験をしているようなものだ。この地獄を繰り返して地獄の人生を生きるのか、取り返しのつかない地獄に落ちるのかわからない。いや、いずれにせよ地獄だが。

 

 

いや、ひょっとしたらお恵み物でパワーをいただいている可能性もある。レッツお恵み!

 

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