ここ四日くらい午前中ふせっていた。
今日は午前中ベッドの上で固まっていた。午後出社。いくらか仕事はあり、帰りも6時半を回っていた。今日は徒歩だったが、そこからがひどかった。突如、すごい倦怠に襲われて、パーキンソン病だった祖父くらいの速度でしか歩けない。アパートにたどり着けるのか不安になったくらいだった。
— 黄金頭 (@goldhead) 2020年7月7日
今日は昨日より抑うつが強く、やはり午前中身動き取れず。午後からもたもた歩きで出社。帰り道も途中で歩くのやめようかという疲労。こんな障害者が一回三百円くらいで使えるタクシーでもありゃいいのに、などと出鱈目なことを考える。椅子に座るともう立てる感じがしない。
— 黄金頭 (@goldhead) 2020年7月8日
今朝も脳と首の下が断線して昼過ぎまで寝込む。午後2時ごろようやく出社。非常につらい。が、夕方ごろからようやく線が繋がり始め、帰宅時には普通に歩けた。明日どうなるかは知らない精神障害者。
— 黄金頭 (@goldhead) 2020年7月9日
強い抑うつ状態、倦怠感をどう表現したらいいのだろうか。鉛様麻痺、という言葉もある。身体が鉛のように重くなって動かない、というイメージだろう。納得できる。ともかく、抑うつ状態のひどいときというのは、身体が動かなくなる。希死念慮に支配されるとか、そういう以前に、自殺しようにも身体が動かない。おれはそういうイメージを持っている。「うつ病の自殺は治りかけが危険」というような言葉があるが、それはやはり身体が動くくらい回復しなければ、自殺もままならないということだろうかと思う。
ただ、おれの場合、それがすごい速度で訪れる。二ヶ月休養して、治りかけて自殺、というスパンではない。午前中、まったく身体が動かなくて、午後になったらなんとかスローモーションで動けて、夜には普通、みたいなものだ。こういうのを日中変動というらしいが、いやはや。自殺する暇もない。
このあたりのことはこれまでたくさん書いてきたが、やはり書きたいと思う。あくまでおれの症例だ。おれが知りうるのはおれ一人だ(もっとも、体感するという意味では他人の「それ」を知ることは不可能なのだが)。とはいえ、似た症例の人もいるかもしれないから書くのだ。双極性障害II型で障害者手帳持ちのおれが書くのだ。
というわけで、今回は「断線」という言葉を使ってみた。脳と身体をつなぐなにか、実体としてのイメージとしては、頭と胴体を結ぶ首のあたりのなにかの線が断線している、ということだ。動かなければいけないのに、かろうじて指先くらいしか動かない。歩けるくらいになっても、脳の命令に逆らって、身体はスローモーションでしか動かない。その歩みは、パーキンソン病を患っていた父の父を思い出す。歩幅は狭く、動きは遅い。だが、それ以上はもう動かない。息苦しい。とはいえ、ぜえぜえ言ってる感じでもなく、呼吸するのを忘れていた、気づけば深い溜め息をついているというような感じ。
……そんな、感じ。なぜ、こうなったのか。今回については、コロナ騒動によって心理的感染(主治医がそう表現した)したうえに、職場環境が変わった(おれが在宅勤務になったわけではない。おれは出勤組で、在宅勤務組がいなくなったのだが)ことによるストレスが溜まったことによるのだろう。
と、原因に目星がついたところで、断線してしまっては動けない。こればっかりはおれの意思の問題じゃないと言わせてもらいたい。おれの知らないところでおれの脳と身体は勝手に壊れている。壊れているから精神障害者だ。どうしようもないから精神障害者だ。「そんなのは開き直りだ」というなら、ベッドの上で動けなくなってるおれを殺しにきてくれ。歓迎する。