今年の目標は早々に諦めました

おれは今年の元日にこんなことを書いた。

あけましておめでとう。

おめでたいか、おめでたくないか、知った話ではない。

おれは年を越したことを少しおめでたく思う。

肯定的だ。

肯定的ついでに、おれはもう今年の目標を決めている。

「心身ともに健康を」。

令和五年 年頭所感 - 関内関外日記

 

結論から言うと、心身ともに健康無理です。

そもそも、おれは精神障害者なのである。手帳持ちなのである。一応そういうレベルに精神がやられている。そして、おれの双極性障害というのは今のところ完治するということはない。「治った」という奇跡的に例外のような人もいるけれど(坂口恭平さん)、基本的に一生ものだ。

双極性障害の第一人者に聞く 「躁・うつと上手くつきあう方法」とは? | 順天堂 GOOD HEALTH JOURNAL

気分が高揚し、極度に活動的になる「躁状態」。躁状態ほどではないものの、病的にテンションが上がる「軽躁状態」。意欲が低下し、何をしても気分が晴れない「うつ状態」。この3つの症状を繰り返し、その間に「寛解」と呼ばれる落ち着いた状態が続きます。ただし、「寛解」とは慢性的な病気の症状が収まっている状態を指し、再発のリスクが完全になくなったわけではありません。

加藤先生はこうおっしゃるが、おれのようにラピッドサイクラー気味の人間にとって「寛解」というのは実に短い。抑うつ→すごく短い軽躁(テンションが上がるといっても、歯ぎしりするくらい。躁転の目安くらい)→「寛解」(普通の人くらいのテンション。これがおれにとっての軽躁かもしれない)、これを繰り返す。

で、そのきりのない繰り返しなんだが、加齢とともに「抑うつ」の時間(一日における動けない時間)、期間(日数、週数単位)が長くなり、さらにはそのリカバリーに時間がかかるようになってきた。だんだんそうなってきているような気はしていたが、四十も過ぎてさらにガクッときた感じがある。

おれはこの前、シロクマ先生のエントリーにこんなコメントを書いた。

 

40代になってからも限界はみえない。それでもできることは減っている。 - シロクマの屑籠

加齢とともに双極性障害の症状自体とリカバリーにより時間がかかるようになって、身の回りのこともおぼつかなくなっている。セルフネグレクト状態も近いし、終わりは遠くない。

2023/05/12 14:08

おれは四十代になって限界がみえてきた、といえる。いや、ある部分ではまだまだ限界なんてないぜ、というところもあるが、身体がついてこない。この場合の身体には「心」≒「脳」の状態も含む。全体的に、もう無理になってきている。

なにせ、まったく身体が動かないような抑うつ状態に、なかなか躁転しないリカバリーへの時間(強い倦怠感、とでもいうべきか)、これが長い。こうなると、一人暮らしを維持するのがせいぜいだ。

いや、維持できているといえているのかもあやしい。おれの部屋は散らかっているが、その散らかり具合もやや悪化している。いろいろの掃除も日に日におろそかになっているのがわかる。入浴、洗濯、ごみ捨てはきっちりやるというラインは保てているが、それもどうなるかわかったものじゃない。

というわけで、おれには時間がない。残された時間という意味で、日々の時間という意味でも。これが、なにかライフステージが変わって子育てが大変、などというのであればまっとうで健康な話だが、おれの場合は時間がひたすらに抑うつの穴に吸い込まれていくだけなのである。虚無だ。

せめて、身体は動かないが頭は働くというのならば、本でも読むことはできる。逆に、頭は働かないが身体は動くというのであればジョギングでもできる(できるか?)。そのどちらもできない。倦怠感が強いときも、なにもできない。「健康によいことをする」=フルカーボンのロードバイクで走り出す、とかも絶対に無理だ。プラスアルファは望めない。マイナスをいかにして止めるかが最優先になる。

というわけで、心身相互の存在である人間として、心は壊れているし、身体を好調に保つことも難しく、マイナスのサイクルにしかならない。脳の停滞→身体の停滞→脳の停滞……。

これに、加齢による基礎的な体力や気力の低下もあって、ブルースは加速していく。躁転としばらくの間の「寛解」(括弧つきなのは寛解とは思えないほど短いから)の隙間になにをできるというのか。掃除が先だろうか。ブログを書くことだろうか。仕事のためになる勉強なんてしたくもないし、したところで給料も上がらない。それだったら、生活の役に立たない本でも読んでいたほうがよい。なにをしたところで、また抑うつはやってくる。確実にやってくる。それは死ぬまで変わらない。加藤先生が完治の方法を発見してくれる可能性はあるのだろうか。なかなかむずかしそうだ。まあ、治ったところで、なんの能もない中年男性が社会の底辺で孤独に生きるだけだし、死ぬだけだ。

というわけで、いずれにせよ「心身の健康」という今年の目標は諦めた。じゃあ、残り半年の目標はなにか。そんなもの思いつかない。馬連万馬券を三回当てる、とでも言っておこうか。

 

以上。