双極性障害のおれが斎藤環・坂口恭平『いのっちの手紙』を読んっだ

 

斎藤環と坂口恭平による往復書簡である。読んだのはしばらく前になる。坂口恭平さんは双極性障害を患っていた。「患っていた」? 過去形になるようなdisorderなのか。でも、どうもそのような状態になったらしい。それは精神科医の斎藤環先生も認めているようである。そして、盛んに坂口さんの生活や心のありようをたたえる。たしかに、もうなにか悟ってしまったかのようなありようだ。一方で、世俗と完全に切れていない生々しい話もでてくる。しかし、それもこれもうまくやっている。「いのっちの電話」(個人的ないのちの電話の活動)もやる。そんな坂口さんの多才さを斎藤先生がほめちぎっている、そんな感じの本だった。

 

「ふーん、こういう人もいるのか」、と思った。というか、坂口恭平の著作は何冊も読んでいる。読んでいるので、なんとなくはわかっている。わかっているので、その才能もわかっているつもりだ。文才もあるし、絵も描ける。くるりの『天才の愛』のジャケット画は坂口恭平のパステル画だ。音楽もできるらしい。すごい。

 

でも、双極性障害だった。ん、やはり過去形でいいのかな、ちょっとわからない。しかし、投薬治療を受けていないのだから、というところもある。でも、まだ躁と鬱の波はあるようだ。

 

で、たしか、「鬱のときほど創作がはかどる」というか、「はかどる」じゃなかったかな、なにかいいものが浮かんだり、形にできて、逆に躁状態のときのほうができない、みたいなことが書かれていたと思う。鬱のときに描いた絵のほうが絵の指導者のような人におもしろいと言われると。

 

それを読んでおれは、「おれは抑鬱状態になると全身が鉛様麻痺になって動けなくなるので、おれとは全然症状が違うのだな」と思った。おれは鬱のときに創作どころか、指も動かせないな、と。まったく、同じ病名でも症状はさまざまだ。

 

……読んだときはそう思った。で、まあべつに感想も書かずにいたのだけれど(あ、おれは昔、読んだ本は必ずブログにメモしていましたが、いまはもうやめています。わりとあなたの知らないところで本を読んでいる)、ここ数日抑鬱状態になってふと気づいたのだ。「あ、おれ、午前中身体が石化していても、昼頃にとけて、午後二時くらいには出社しているな」と。

 

そうだ、おれは下手すれば月の半分くらいの午前中をベッドのなかで固まって過ごしているが、そのまま全休するということはほとんどない。思い返してみても、発病してから一回か二回じゃないのか。それも、同時に熱を出しているときなど。それ以外は、仕事があろうとなかろうと、とにかく出社しているではないか。ときにはよろけながら出社し、電話先の顔を合わせたこともないクライアントから「お体の調子が悪いのですか?」と指摘されるような状態で働いて……。

 

というわけで、おれはおれでまた一つ、教科書的でない双極性障害者なのかもしれない。会社に行く時間に絵を描いたり畑仕事をすれば、坂口さんがやっていることとある意味同じだ。なんだおれの強い抑鬱状態も半日であって、弱い抑鬱状態、あるいは普通まで回復するときが半日残っている。いやはや。

 

あ、もちろん、午前中が鬱で、午後が躁というわけじゃない。II型のおれは長い長いうっすらとした鬱のなかにある。それがしばしば身体に鉛様麻痺という形で出るだけだ。かかりつけの医者は「珍しいタイプ」と言った。

 

それで、おれは時折、自分が軽躁状態になったみたいなことを書くけれど、それが真に軽躁状態かどうかはわからない。もしもおれが「躁転した」というペースで変化していたら、ラピッドサイクラーというにも早すぎることになる。うっすらと治らない鬱の中で、一番ひどいときから少しマシになった変化をそう自分で呼んでいるのかもしれない。ひょっとしたら、おれにとっての躁状態とは、最初の最初に精神病院に行くことになったときの「ダイエットとジョギングにはまりすぎて摂食障害状態になって身体が動かなくなった」、あのときくらいかもしれない。そうすると、わりと長いこと躁状態になっていないということになる。投薬のおかげかもしれない。

goldhead.hatenablog.com

 

このときはすごい痩せたな。すさまじい量のカロリーを消費して、ほんの少ししかカロリーを接種しなかった。頭の中はハイになって、このまま死んでもいいくらいの気持ちよさだった。そしたら、いきなり身体が動かなくなった。

 

ちなみに、このときの体験から、おれは「ダイエットは簡単な引き算だ」という思いを抱いている。世の中にさまざまなダイエット法がある理由がわからない。食うな、走れ。カロリーの計算だけだ。

 

ダイエットはいい。まあともかくおれは最初、強迫性障害と診断され、その後、鬱病の薬(SSRIでもSNRIでもないやつ)、一年以上経って双極性障害だと再診断された。それから十年以上経つ。おれは不安症も抱えているし、断薬を試みるつもりすらない。また、あのときの、摂食障害になるくらいのダイエット、そんな躁状態になるのだろうか? なるとしたらどんな形で? たとえば大金を使うとか? でも、散財するほどの金もないから、コンビニ強盗とかするのかもしれない。そのときは差し入れよろしく。

 

まあそんなわけで、読んだときは「べつにな」と思った本も、あとからふと「ああ、そういうこともあるのか」と思うこともある、という話。もちろん、おれの感想だ。精神医療従事者や双極性障害当事者によっては「べつにな」以上のものを得られるかもしれない。以上。

 

天才の愛(通常盤:CD)

↑『天才の愛』のジャケット画。あ、もちろんくるりの最新作も買った。感想は後日。