Sorry voor de vertaling door AI.

寄稿いたしました。

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もうネットでAIの話題を見ることも少なくなったように思う。すくなくとも、一時期に比べれば。もうそれだけ定着してしまったし、使っているやつは使っているということだろう。上の記事だって、書かせてはいないが、書く前にAIとチャットはした。それほど示唆に富んだことは言わないが、おれの至らぬところ、思い至っていなかったことの一つや二つは言葉にしてくれる。

ただしどうもAIのやつらは品行方正すぎる。真面目すぎる。やや反社会的、反良識的な意見を尋ねると、ポリティカル・コレクトネスに則った意見を必ず述べる。そこがやや鬱陶しいと感じることもある。そのあたりはカスタマイズでどうにでもなるのかもしれないが、まあ反対意見を言ってくれることに価値を持とうか。

上の記事で、世界の知らないもの同士が出会うことについて述べた。そのとき、生成AI翻訳(なんなら従来の機械翻訳でも十分かもしれないが)がツールとして機能するであろうことは確かだ。ただ、ツールはあっても場はあるのか、というと、具体的には思いつかない。

いや、海外旅行でも留学でも、プアではない人間にとって海外へ行くことは難しくない。とはいえ、プアな人間に外国は遠いし、いくらかのコミュニケーションをとるまで滞在するのも難しい。

では、いま、便利な、インターネットというものがあるらしいという話になる。なるが、世界の人間が集まっているのはどこだろう。それはあるいはXということになるのだろうか。よくわからない。おれのように日本語の中にしかいない人間にはわからない。もとよりおれは「やりとりはあまりしません」とプロフィール欄に書くほど、なんのためにSNSをやっているのかわからない人間なので、日本人相手にも話しかけない。

そんなおれが、たとえばどこだ、オランダで起きたなにごとかに興味を持ったとして、それについて語っているオランダ人アカウントをハッシュタグかなにかで見つけたとして、相手の言葉を翻訳して、自分の言葉を翻訳して、「Hallo. Aangenaam kennis te maken. Sorry voor de vertaling door AI. Ik ben een blogger die in Japan woont. Ik wil graag met u praten over de zaak van de vermiste naakte man van middelbare leeftijd in Amsterdam.」とか書いたりはしないだろう。

会話することがないのに英会話を習っても無駄だという。そのとおりだ。だから、生成AI翻訳ができたからといってなんだという話だ。

書くこともないのに、書いたところで、なんだという話だ。

でも、言葉を使える人間にとって、言葉は心に先立つといえるかもしれない(これはただちに「言葉を使えるということが人間の定義である」とは思わないでほしい。あくまで「言葉を使える人間にとって」の話である)。少なくとも、この世の人間社会の大部分は言葉で構成されている。そういってもいい。言葉というか、意味というか、情報というか、そういったものでできている。

そのあたりに踏み込むと、たいへん難しい問題になってしまうかもしれない。言語学や哲学、あるいは心理学の一分野になるのだろうか。そのあたりの検討もつかない。一つ、AIに聞いてみようか。ヒントとなる示唆くらいはしてくれるだろう。

レトリックも心に先立つとしたら、AI翻訳も問題になるかもしれない。だが、そうでなければ。そこになにか魂のようなものがあれば、伝わるのではないかとも思う。そして、言葉による表現に興味がないという人もなにかはあるんじゃないかと勝手に思っている。

……とか書いていて、絵画や音楽、あるいは料理とか格闘技とかで言葉の壁を超える、みたいな話も出てくるかもしれない。それはそれで、そういう面もあるだろう。どうもおれは言葉に偏りすぎていたようだ。

 

とりとめもなく、以上。