二日前のザ・ノンフィクションの感想 あるいはおれが自死か孤独死する理由

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この間の日曜日、フジテレビの「ザ・ノンフィクション」を観た。ネットでの(いや、もう違うか?)有名人phaさんが採り上げられていた。通常、おれはその時間、なぜか東幹久が司会をする競馬番組を観るのだが、気になって「ザ・ノンフィクション」を観た。

おそらく、phaさんも小林銅蟲さんもおれと同年代だ。ニートとして生きる。少ない収入でも居場所を作る。それが新しい様式なのか、名称を変えてきたある種の生き方なのかわからない。おれは彼らの生き方に共感する。元ニートで引きこもりのおれ、共感するとともに、隔絶を感じる。おれは一人が好きなのだ。というか、他人と関わりたくない。よほど気心が知れた人間とでないと話もできない。

ようするにおれは先進的な生き方を志向するギークでもなんでもなく、孤独で、キモくて金のないおっさんなのだ。こればかりはどうしようもない。そして、どうしようもない未来が待っている。独り暮らしの中で、自死するか孤独死するか、それとも刑務所にでも入るか、そんな未来しかない。

おれのようなやつ、日本にも、世界にもたくさんいるかもしれない。しかし、他人が苦手な故に連帯できない。孤独で、キモくて、金がないだけだ。しかもおっさんだ。スキルも人脈もないおっさんだ。待っているのは悲惨な労働か、死ぬことだけだ。

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人々とのつながりが荒んだ精神衛生に対する最も強力な緩衝材であることは繰り返し証明されている。

そんなのはハードルが高すぎる。おれに必要なのは金だ。暮らせていくのに最低限の金だ。ベーシックインカム? なんでもいい。金がほしい。金がすべてだ。金があればおれの双極性障害も不安神経症も治まるに地がない。だからおれはなけなしの貯金を切り崩して毎週totoだかlotoだかを買う。貧者の税金、それで結構。おれの人生が好転するのは、宝くじに当たることくらいしかありえない。おれは人々とのつながりを求めない。

とうぜん、宝くじはあたらない。ささやかな馬券も当たらない(宝塚記念の週で回収率が100%を切ったぞ)。おれはささやかに、世界の片隅で生きたいだけなのに、それもかなわない。自死か路上か刑務所か。おそらくは死ぬだろう。不動産屋に迷惑をかけたくもないので、どこか遠くで死ぬのだろう。それまでの猶予はあと何年? 何ヶ月? 何日? この日記が途絶えたら、おれという存在が途絶えたものと思って構わない。なんでこんな脳みそを持って生まれてきたのか。なんでこんな精神しか持ちえなかったのか。当事者にはわからないこと、そのように思う。