握りこぶしより一回り大きい果実を摘む

はしごの下を犬が走り回っている。上を向いて、ぼくのことを吠えている。あまり頭のよくない犬だから、いつまでたってもそうなのだ。ぼくは犬のことを頭から追い払って、握りこぶしより一回り大きい果実を摘む。小指の第一関節ほどの太い果柄に刃を入れる。素早く切り取るとすぐに腰籠に放り込む。果柄からは粘り気のある液体が出てきて、慣れないうちは手もナイフも前掛けもどろどろになってしまう。おまけに、その液体ときたら手の傷に触れたりしたらやけに染みるんだ。はじめたばかりのころは、ずいぶんと痛い思いをしたものだ。

腰籠に一個、二個、三個……。重みは確かなものになってきたころ、ちょうど手の届く範囲の果実がなくなる。はしごを一段一段降りて、手押し車の大籠に果実を移す。ぼくははしごを片手に次の目標を探す。犬がぼくのまわりを走り続ける、吠えたてる。農園主の犬なので、蹴り飛ばしたりしちゃいけない。

農園にはぼくのほかに三人の男が働いていた。一人は南から来た男で、指が何本かなかったが、器用に果実を摘むし、老齢のわりに仕事も早い。もう一人は地元の牧場の三男坊で、とくにこれといった特徴がないのが特徴という男だ。最後の一人は都会に行くことを夢見る若者で、そのお金を貯めるために働いているという。自分がどうなりたいとか、将来の夢を語らせると長いが、たいがいはどこかで聞いたことのあるようなつまらない話で、仕事をやらせてみても要領がよくない。ぼくはといえば気づいたらここで果実を摘んでいて、それまでのことなど薄いもやの向こうにあるようだった。そして、犬が吠えるのはぼくにだけなのだ。それってなんか不公平じゃないの。

一日の終わりには、手がぴくぴくと震える。腰痛は職業病だといっていい。ベッドに横たわっても腰の位置が定まらなくて幾度となく寝返りをうつ。ただ、疲労によってすぐに眠り込んでしまう。

農園が今より五倍も大きかったころの話を聞いたことがある。作業者は主に遠い国からやってきた奴隷たちで、腰が痛いと言おうものなら立ったまま眠らせたという。農園主の祖父は馬にまたがって、鞭をふるいながら作業を見張っていたのだとか。犬に吠えられるくらいなんだって話だろう。

そんなある日の昼休みのことだ。ぼくは樹に寄りかかって、黒パンと尻腐りしていた果実の上の方を交互にかじっていた。郵便配達人が自転車をガタガタいわせながらやってきて、ぼくの方に来る。農園主の家の郵便受けじゃなく、ぼくの方だ。

「ぼくに何の用?」とぼく。

「あんた宛の手紙だよ」と郵便配達人。

「たしかに渡したからな」と言うと郵便配達人は去っていった。ぼくは封筒の表を見る。たしかに農園の住所とぼくの名前が書かれていた。裏返してみると、そこにはなにも書かれていなかった。ぼくは腰のホルスターからナイフを取り出して、封筒を開けた。中には折りたたまれた便箋が五枚入っていた。黒パンを狙っていた犬を追い払うと、ぼくはまた腰掛けて、ぼく宛の手紙を読み始めた。それはとても長い長い午後のはじまりだった。