おれは舛添要一の言うことには反対だった

猪瀬直樹前知事の辞職に伴う東京都知事選が9日投開票され、無所属で新人の舛添要一厚生労働相(65)が、前日弁連会長の宇都宮健児氏(67)=共産、社民推薦=、細川護熙元首相(76)、元航空幕僚長田母神俊雄氏(65)ら無所属や諸派の新人15人を退け、初当選を確実にした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140209-00000098-jij-pol

 昔、トップマツオーという馬がいた。馬主の名前を舛添要一といった。今、調べてみても馬主欄にその名はない。だが、たしかに舛添要一の馬だった。

 舛添要一は馬主だった。週刊ギャロップかなにかで連載をしていたようにも思う。地方競馬馬主たる舛添要一は、日本の地方競馬のあり方に馬主の立場から一つの主張をしていた。曰く「馬主の馬が走るのだから、勝負服も中央競馬と同じく馬主のものにすべきだ」というものだ。そうだ、原則として地方競馬は騎手ごとの勝負服を着ている。中央競馬は馬主ごとの服を着る。それを読んだ若きおれはどう思ったか。地方競馬びいきもあってかどうか、反感を抱いた。おれは多様性を愛する。騎手ごとの勝負服では数も限られ、多様性が減る? いや、中央は中央、地方は地方という多様性、これが失われるのには反対だったのだ。ほかにも舛添要一は調教師批判などもしていたように思うが、よく内容は覚えていない。……というか、勝負服についての話も、おれの頼りない頭のなかにある話なので、別人の話だったら相済まぬ。
 しかし、記録にも残り、よく覚えてもいるのはサプライズパワーとアトミックサンダーによる東京ダービー連覇だ。とくにアトミックサンダーにはやられた。こんなハンドルである以上、そう言わねばならぬ。おれは二度、表彰台に登る舛添要一を生で見た。いや、一度だったかもしれない。ともかく、少なくとも一度は見た。見て、「でけえ」と思った。テレビの中の人間を見る機会というのはあまりないものだが、実物はでかい、そう思ったのだ。単に身長の話ではあるが。逆に、想像していたよりも小さいと思ったのは、佐々木竹見の引退日にゲストとして現れた北島三郎だった。ただし、オーラはあった。
 で、だからなんだというのだ。舛添要一東京ダービーを馬主として連覇した。舛添要一東京都知事になった。馬主をやめてなろうとしてなれなかったこともあったが、今回はなった。だからなんだという話だ。こっちはとっくにヴィニエイラ様に征服されているのだ。いや、違う、神奈川県民だから関係ない。それにしても、あの頃から何年経ったのか。こちらから見て、あまり舛添要一が年をとったという感じはしない。一方で、おれは確実になにもせずに年をとった。そして、あの頃の話ばかり思い返す。おれの方が早く老いている。

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