とにかく、日本ダービーまでは

f:id:goldhead:20200425185448j:plain

東京開催が始まった。いま、日本のそれなりに規模の大きいプロスポーツで開催されているのは、競馬くらいになってしまった。晴天のもと、輝く芝生、色とりどりの勝負服、駆け抜けるサラブレッド。しかし観客はいない。それでも、この静止した世界で、競馬だけが走っている。

だれも口にしない、それでも少し思っていることがあるのではないか。「とにかく、日本ダービーまでは、続いてくれ」と。

競馬の代名詞といってもいいだろうダービー。そこまでは、騎手や関係者に新型コロナウイルス感染者が出ることなく、開催が続いてほしい。人によっていろいろな価値観はある。自分が狙えるレースならば、重賞よりも未勝利戦の方が重要だ、という人もいる。三面川特別が一年で一番の楽しみだ、という人もいる(いるかな?)。ただ、日本ダービーが特別なレースであるということは、おそらくほとんどの競馬ファンが認めるところであろう。ダービーこそが競馬の根幹であり、特別な価値がある。

だからこそ、ダービーまでは、もってほしい。なんとか、無観客開催でつないでほしい。おれはそう思う。そう願っている。そのあとのレースがどうなってもいいとは言わないが、やはりここまで来たら、ダービーまではもってくれと。

ただ、この不況下にあって、ダービーの軍資金を用意するのは、個々の競馬ファンの自己責任である。開催が変わって、おれの土曜日の馬券は悲惨であった。だが、土曜日の次は日曜日がある。フローラステークスマイラーズカップで取り返せばいい。おれの予想は……まだ決まっていない。ただ、当たればいいと思う。当たれ。当たることしか先はない。

<°)))彡<°)))彡<°)))彡<°)))彡

ところで、今日買った東スポの一面に、興味深いエピソードが載っていたので書き留めておく。

 田中厩務員によると、エアグルーヴがレースに行って"ヒルんだ"のは生涯ただ一度だけ。

 「忘れもしない1997年のジャパンCパドックピルサドスキーにロックオンされちゃってね。もう相手は目がハート。誰が見てもわかるくらいの一目ボレ状態になっちゃって……。大変だったよ(笑い)」

引退して繁殖牝馬になったエアグルーヴピルサドスキーが種付けすることはなかった。もし、ピルサドスキーエアグルーヴの産駒がいたらどうなったであろう。ノーザンダンサーとホーンビームのクロス。さあ、どうだったか。いや、ピルサドスキーだろ、というのが真っ当な想像だろうが、それでも、ピルサドスキーの一発があったかもしれない、などと考えても面白いかもしれない。

 

ピルサドスキー - Wikipedia

1997年のジャパンカップパドックでは激しく「馬っ気」(生殖器が勃起する状態の俗語)を出していた。その様子にすでに購入した馬券を返したファンや、ピルサドスキー絡みの馬券購入を取りやめたファンが相当数いたことが報道された。しかし、レースでは先頭に立ったエアグルーヴを内から並ぶまもなく差し切って優勝した。エアグルーヴに騎乗していた武豊はレース後のインタビューで「あれだけ完璧なレースをしたエアグルーヴを差す馬が世界にいるとは…」と絶句していた。