ウルトラマンとおれの心配

 

どこかで配信されていたであろうウルトラマンのアニメが、地上波で放送されている。おれはそれを見ている。見ているといっても、まだ一話しか見ていない。見ていないが、おれは「ウルトラマン」について大いに思うところがあって、書き留めたいことがある。

おれは初代ウルトラマンの世代の人間ではない。それ以後のウルトラマンの世代でもない。見たのは再放送だったか、あるいはレンタルビデオだったか。ともかく、幼少期のおれはウルトラマンに夢中になった。ウルトラマンシリーズに夢中になった。だが、それはそのときのことで、ウルトラマンや特撮といったものに、それ以降夢中になったり、興味をもつことはなかった。おれのウルトラマンは、幼少期に見たそれが全てである。

して、幼少期のおれがウルトラマンについて抱いた思いはなんだったのであろうか。それは、ウルトラマンに変身してしまう隊員は、職場において無能者とみなされているのではないか」という心配であった。なにせ、いつも怪獣が暴れる大変なときに姿を消してしまう。実際はウルトラマンに変身して戦い、勝利するのではあるが、人間としてのウルトラマンは職場放棄している。おれはそれが、とても心配であった。幼少期のおれは、そう思った。少しでもウルトラマンになる隊員が仕事をすると、すこし安心するのであった。いまだに思い出すのは、ウルトラマンの活躍ではなく、隊員としての人間の仕事の価値を心配する気持ちなのである。

して、アニメ版ウルトラマン。第一話で、イデ隊員から「知っていたよ」という台詞が放たれた瞬間、なにか救われたような気がした。ああ、周りは知っていてくれたのか。これはおれのウルトラマン観にとって大きな救いであったといっていい。それならば、ハヤタ隊員は、ウルトラマンは救われる、と、そう思ったのだ。だから、おれはこのアニメはいいな、と感じた。そこんところが、重要なのだ。少なくとも、ハヤタ隊員の働きとその査定を心配していた、幼少期のおれにとっては。ああ、これでウルトラマンに変身していた隊員たちは救われた、そう思った。

というわけで、おれはアニメのウルトラマンについてはよくわからぬが、イデ隊員の台詞に感じ入った。アニメのウルトラマンはなにかCGIがぶれて見にくいな、とか思うが、そんなところはどうでもいい。初回にして大団円を迎えた、そのくらいの気持ちなのである。シュワッ!

 

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