あるギャンブラー、あるいは馬券敗北者の告白

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こんな記事を読んだ。

blog.tinect.jp

博打についての話である。

おれはこのようなコメントを残した。

 

なんでパチンコに人が群がるのかがわかって、いろいろと切なくなってしまった | Books&Apps

著者がパチンコを体験したのかと思った。おれはお馬さんだが、穴場券を当てて世界の王様になったような愉悦は、普通に低賃金労働していては決して味わえない。人生などゴミ地獄だ。

2021/09/15 01:35

 

あるいは、こんな記事を読んだ。

anond.hatelabo.jp

おれはこのようなコメントを残した。

 

ギャンブルにハマる一番の理由は万能感

博打における栄光の瞬間に異論はない。でも、ギャンブル依存症(病的ギャンブリング)の本とか読むと、現代日本の症例のほとんどがパチンコとパチスロで、なにか没入させすぎてしまう特別な仕組みはあるかなと思う。

2021/09/15 14:06

 

おれは、けっこう強めなギャンブル依存症といっていい。とはいえ、その対象は競馬に限られている。月に一度や二度、競輪や競艇に手を出すこともあるが、コンビニでなんとなくからあげ棒を買うくらいのことであって、本筋の本筋は競馬である。パチンコ・パチスロをやったことは一度もない。

「競馬とパチンコ・パチスロは違う!」と声高に言いたいわけではない。言えるわけもない。ただ、なんらかの運命によって、おれは競馬をやるし、パチンコとパチスロに縁がなかっただけだ。

ただ、博打における栄光の瞬間についてはわかっているつもりだ。それは、多くの賭博者が述べてきたことでもある。チャールズ・ブコウスキーはこう書いた。

 

『死をポケットに入れて』チャールズ・ブコウスキー/中川五郎訳 - 関内関外日記

しかしうんと短い時間の枠の中だけに限定すれば、とても短い、たとえば自分の馬が走って、それから勝利を収めるほんの一瞬。そこには何かがある。何かが起こるのがわかる。気持ちが高揚し、陶醉感に襲われる。馬たちが自分の言いつけどおりにしてくれる時、人生はほとんど会得されうるものとなる。

人生はほとんど会得される。その一瞬の高揚。これに比べて、低賃金労働者としての人生はいかに灰色で、なにも応えるところのないものか……。

これがわかる人間にはわかるし、わからない人間にはわからないだろう。本を通じてわかるような人もいるだろうが、本当にわかっているのかはわからない。おれはわかる人間のつもりでいるけれど、本当の本当に博打の真髄に触れているかどうかはわからない。菊池寛「ギャンブルは、絶対に使っちゃいけないお金に手を出してからが勝負」と言われたら、そこまでの覚悟はないと言うしかない。

そんなおれに「刺さる文章」があった。刺さったので書き留めておきたい。それは「競馬の天才」2021年10月号に掲載されていた。「競馬の天才」は馬券のための雑誌である。おれがよく行くセブン-イレブンに毎月二冊だけ入荷される。一日買うのが遅れると、一冊しか残っていないので、おれ以外に一人買うやつがいる。

競馬の天才!デジタル – 一人勝ち! 新時代の最強「馬券マガジン」

この雑誌の本号に、「ウマニティ」の編集長の岡田大という人のインタビューが掲載されていた。岡田大さんの著書からの孫引きになるが、おおいに同感したので、残しておきたい。

 競馬場やウインズに到着するやいやなや、あるいはPATにログインして画面を開くと同時に、ロクに予想もせずに締切直前のレースを買ってしまう、飛び込み自殺志願者。

 3場開催の際は、毎レース欠かさず3場分、もしくはローカルを除く2場分の馬券を買ってしまう、我慢知らず。

 「まったく自信がないから遊びで100円だけにしておこう」と決めながら、1レースで500円、1000円買ってしまう、意志薄弱人間。

 その日の負けを一発で取り返そうと、最終レースで無謀な勝負に出てしまう、身のほど知らず。

 自信の有無にかかわらず、G1レースとなるとふだんよりたくさんのお金を突っ込んでしまう、お祭り野郎。

 資金が乏しくなればなるほど「これ以上は負けられない」という意識がはたらき、本命買いに走ってしまう、小心者。

 漠然と「勝ちたい」と思っていても、心のどこかに「たぶん無理」という意識があることを自覚している、マイナス思考人間。

 思考力が低下することを承知しながらも、楽しさを優先し、競馬場やテレビの前でお酒を飲んでしまう、自称「酔拳使い」。

 仮に余命1ヵ月と告げられたら、ほかに優先すべきことが山ほどあると理解しつつも、週末は競馬のことを考え、(おそらく……というより間違いなく)馬券も買ってしまう、正真正銘の馬券中毒患者。

これはすごいな、と思った。ほとんどすべておれのことを言われているような気になった。ほとんどおれのことだ。

ちょっぴり違うのは、おれは基本的に(個人的な注目馬がいる場合は当日の馬体重も見ずに前日購入する)tvkの競馬中継が始まる午後2時から最終までしか馬券を買わないし、最終の一発逆転は狙わない、というくらいだ。ほかはほとんど当たっている。小心者ゆえに日和ってしまい、いったん目をつけたパワフルヒロコの馬券を買えないような人間だ

これについて、著者の岡田大さんは「競馬が好きなあまり、楽しみすぎちゃってるんですよ」と述べる。ゆえに、買うレースを絞り、メンタルを鍛えてG1レースでも「ケン」(見……馬券を買わずにレースを見ること)できるようになるべきだという。それによって回収率はアップするのだと。

わかる、それはわかる。わかるが、やめられないのだ。未勝利戦でもG1でも同じ博打というのはわかるが、そうはいかんのよ。

となると、おれは生粋の賭博者とは言えないのかもしれない。おれは競馬が好きすぎる、競馬ファンなだけかもしれない。うーん、博打について偉そうなこと言ってすみません。そういうことになる。それでも、馬券が当たったときの全能感、絶頂感、愉悦を知っている。その愉悦を知っているがゆえに、馬券の敗北を受け入れている。

これ、パチンコやパチスロだったら、どういう状態なんだろうか。おれはパチンコやパチスロをやったことがないのでわからない。ひょっとしたら、競馬で1日12レース、3場開催で36レース、地方競馬を足して……とか、そんな数では効かないだけの機会と結果を浴びることができるのかもしれない。そうだとしたら、それはもう、そりゃすげえよな、と思う。おれがかろうじて借金せずに博打を楽しめているのも、その対象がたまたま競馬だったから、ということになるかもしれない。

それが幸運なことなのか、不幸なことなのかわからない。それでもおれは土日が来れば馬券を買うだろうし、来週の月曜日は祝日開催もある。おれは土曜も日曜も月曜も馬券を買うだろう。日常の生活では得られない、決断と結果、ときどきの勝利を味わうために……。

 

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