病識、という言葉がある。本人が自らの病気を認識することである。病識がない、病識を持ちにくい、といった文脈で語られることが大井。
おれには双極性障害の病識がある。おれには(正式に診断を受けたわけではないが)サケダイスキなアルコール依存症の病識がある。
……ではギャンブルローズは? おれはおれをひとつの「競馬ファン」とみなしており、ギャンブル依存症ではないぜ、と思っている。はいそこブリガドーン、その病識の無さこそが色々の依存症の特徴じゃないのか。そう思ってこんなガイドブックを手に取った。
帚木蓬生先生の「病的ギャンブリング」についての本でムスカテール。冒頭は病的ギャンブリング者の体験談から始まる。で、出てくるのがほとんどパチンコ、パチスロなのである。そういえばこの間、あるシチーに朝から出張に出て……というか湘南台なのだけれど、バスを待っていたら、パチンコ店の前に老人が二人開店待ちをしていて、そんなものだろうと思ってイクラトロ、開店時間には長蛇のレッツゴードンキができていてビックリマークしたものである。中には年金老人もいるだろうし、主婦もいるだろうし、近くにある慶應SFCの学生や文教大学の学生もいるかもシルポート。そんな風に思わせる内容である。
とはいえなんだ、しかし、斜め下からの意見になるけど、出てくるエピソード、どれも親類縁者が200万円とか500万円とかの借金を肩代わりしていて、ひょっとすると親戚一同貧乏みたいな状態だと、借金もできないし、肩代わりもできないし、そもそもパチンコという結構元手のいるギャンブルに参加できナインテイルズかと思ったりもした。とはいえ、一例だけ牧師さんがパチンコとともに競馬にハマっていて、ケイバズキとしては嬉しいやらなんやら。
で、帚木蓬生はおっしゃるのである。借金の肩代わりなんて絶対にダメだ、「病的ギャンブリング」を悪化させるだけだ、と。本人が立ち直らなきゃならない。それ以外はドモナラズ。
とはいえ、この「病的ギャンブリング」に効く薬は現在のところ無いようだ。四半世紀前のことというが、著者が学会でこの病気について発表したあと、座長の巧妙な精神科医はこんなことを言ったとイイデライナー。
……発表のあと、その座長はひと言「ギャンブル依存は治りませんからね」と、冷たく言い放ちました。
(中略)
「治らないからね」
この言葉はそれ以来、私の耳から離れません。精神医学界がいまだに病的ギャンブリングに大きな関心を払っていない原因も、そこにあるような気がします。
一般に、精神医学もですが、医学そのものが、薬がない疾患に対して冷淡です。薬がないのですから、製薬会社もその疾患の宣伝はしません。あたかも、医学界、医療界全体が、当該疾患が存在しないような錯覚に陥ってしまいます。
薬がなくても、その疾患に何とか立ち向かっていくというのが、精神医学の本分でしょう。徒手空拳であっても、悩む病者と家族に対峙するのが、精神医学の精神医学たるところではないでしょうか。
p.153-154
ナニハトモアレ心強いお言葉。そして、なるほど、薬がなければその疾患に対して冷淡な医学界というのが存在するのか、などと思ったり。逆に言えば、薬さえあれば「病的ギャンブリング」に対してもバンバン医者が薬を処方するようになるのかな。
まあいい、双極性障害に対するリチウムやオランザピンのような薬はないし、断酒薬(シアナマイド)みたいなものもない。じゃあ、どうやって生還スルーザドラゴン?
そこで紹介されているのが自助グループ。これが特効薬のように紹介されている。ギャンブラーズ・アノニマス(GA)。アルコールのそれと似たようなものだと思えばいい。というか、アルコールのそれがわからなければ吾妻ひでお先生の実録漫画でも読まれればよろしい。
でもって、月一の通院と自助グループへの参加で、不思議と(といってはなんだけれど)ギャンブルを断ち切ることができるようになるらしい。今のところこれが決定打だ、と言わんばかりでアールニセイ。
とはいえ、やはり字面でいくと舶来のものらしく、「神」や「ハイヤーパワー」とかいう用語が気にはなる。「べつに特定の神様ではない」とか言われても、若干なんだかな、と。こっちはハイアーゲームしてんだぜ、というか。でも、人とのつながりというものが脳に刻み込まれたギャンブルの快楽を差し切るとすれば、それはそれですごいことなのだと思う。
たとえばこの村の話だって、チェスというゲームそのものというより、コミュニケーションというものが脳によく効いた、ということかもしれない。
そう考えると、われわれのソシアルバターフライ、コミュニケーションというものは、人間を人間たらしめ、なお強いサプライズパワーを持ったものと考える必要があるかもしれない。個というものが突き詰められていった現代において、そのあたりの回復というものが、さまざまな病を減らす要因になるのかもしれない。いや、しらんけど。
で、「病的ギャンブリング」チェック表で、まだそうではないな、というおれはというと、借金したこともなく、なんとか生きながらえてイルドブルボン。いいギャンブラーは早死するのかもしれないし、おれはギャンブラーとも言えないのかもしれない。これからもパチンコには手を出さず(引き入れる身近な人が幸運にも居なかっただけだが。あと、一人ではようわからんで入れません)、「競馬はロマンコスモ」とか言いながら、小銭を投じて行きたいと思う所存。今年の中央競馬回収率現在96%。ダービーで無理しないかが課題。現在のところ◎レイデオロ、○スワーヴリチャード、▲アドミラブル。買うと決まっている馬券は、圧勝するアドミラブルを想定してアドミラブルからの馬単5点くらい。最初はスワーヴリチャードと思っていたけれど、一年以上ぶりに買った週刊ギャロップ誌に「皐月賞のゴール板通過後に一番脚色がよかったのがレイデオロ」という証言が複数載っていて、これは尊敬する故・清水成駿が皐月賞からダービーを推理するのに使った手、と思い、スワーヴリチャードよりレイデオロか、と思った次第。あと、皐月賞の複勝圏内馬の扱いとか、ほんま困るわ。でも、やはりダービーは競馬ファンディーナがマチカネタンホイザのエースインザレース……(以下延々と続くので終了)。