『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を読む、べし!

 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」。このタイトルのインパクトはすごいものがある。もちろんおれは力道山の名を知っているくらいのものだが、いったいなんなんだと思った。殺すとはリングの上でのことなのか? なんのことなのか? 疑問符でいっぱいになる。読んでみたいと思っていた。ついに読んだ。それも一気に読んだ。文庫本だと上下巻のようだが、ハードカバーで一気に読んだ。徹夜して読んだ。引きこまれたらもう逃れられない。むちゃくちゃに面白い。
 木村政彦は日本柔道史上最強とも言われる格闘家だ。というか、本書を読むと「最強の」と言い切りたくもなってくる。綴られる言葉と、さらに数枚の写真によって。

 Wikipediaのこの項目を読むだけでもお腹いっぱいだろう。本書は、この木村政彦の人生を膨大な資料と証言から追いかけていく。著者自身も高専柔道の流れをくむ七帝柔道経験者である。ん? 高専柔道? というか、柔道。おれは柔道についてどれだけのことを知っているのか? 所詮は、総合格闘技ブームが地上波に乗ったとき、それに乗っかり、地上波が終われば単に見送っただけのミーハーに過ぎない。
 そんなおれが、本書の冒頭で頭をパッカーンとやられたのが以下の文章だ。松原隆一郎の発言からの孫引きになるのだが。

レスリングJUDOと言われるものがいけないという意見がありますが、実戦性を考えると、レスラーともし町中で喧嘩になった時に『お願いだからタックルはしないでくれ』とは言えない」

 そうか、そうなのだ。そうだったのだ。おれなどは、「日本は柔道に限らず国際スポーツのルールに関して負けてばかりという印象だが、タックルばかりの柔道から投げて一本の柔道にしていこうというのは、原点回帰でいいことじゃないか」くらいに思っていた。柔道も柔道の歴史もよく知らずに! この傲慢さをピシャリとやられたような気になった。そして、自分が講道館柔道史観(?)に知らないうちに染められていたことに気付かされるのだ。本来柔道(柔術)はもっと多様なものであった。多様であろうとした。様々な格闘技のエッセンスを取り入れようとしていた。言わば、総合格闘技を志向してさえいた。しかし第二次世界大戦後、柔道は講道館柔道一本に絞られていく。そして、スポーツ化していく柔道で世界が日本を倒していく、その世界を育てたのがむしろ古流だったりする、というあたりの流れが面白い。そしてさらに、グレイシー一族の柔術が世界を席巻していく、なんというのか、このダイナミックな流れ!
 しかし、その流れに翻弄されたとも言えるのが木村政彦であり、師匠のwikipedia:牛島辰熊であり、木村を下したこともあるwikipedia:阿部謙四郎植芝盛平との出会いのエピソードとかしびれる)であり……。戦争という大きな時代の流れにも翻弄される(しかし、天覧大会王者である木村が単なる一兵卒として徴兵されたのはなんでだろうね。軍の柔道師範とかなるのが自然なような……)、戦後の日本にも翻弄される……本書が単なる一柔道家の伝記にとどまらぬところがある。表社会史でもあり、裏社会史でもある。東條英機暗殺計画から、戦後裏社会とのつながりまで、懐が深い。その中をまた力道山であり、大山倍達でありが生き……。
 とはいえ、やはり木村政彦の話である。豪放磊落で人から愛される性格、しかし勝負となれば鬼になる。異常なまでの練習量と精神鍛錬で無敵を誇る柔道家。しかし、世渡りとなると上手か下手かよくわからぬ。いや、正統派の柔道界の中では傍流であったという面はある。とはいえ、戦後プロ柔道(……世界柔道を見た - 関内関外日記(跡地)……前に「柔道プロ化したらいいのに」とか言ってたことあったけど、実際にあったとは知らなかった)、挫折後に、ハワイやブラジルに渡りプロレスをしたりして、むろん病気の妻を抱えというところもあるだろうが、それで手にした報酬はかなりのものだ。エリオ・グレイシーとの決戦、真剣勝負というものもあったにせよ、どこかそういうところで「鬼」が引っ込んでいくところがあったのか……。
 本書前半は貧困の生い立ちから、師匠牛島に拾われ、日本最強の男になっていく、言わば武勇伝である。戦後の海外遠征の話もなかなかに面白い。が、日本でプロレスを始めるあたりから、なにか雲行きが怪しくなってくる。力道山が空手チョップ(……関係ないが映画『オースティン・パワーズ』で「ジュードー・チョップ」で敵を倒すシーンが出てきて笑ったことがあったが、その場のギャグではなくその名称は普及していたものだと初めて知った。柔術には当て身があったんだよ)で外国人レスラーを倒し国民的英雄に、というのは知っていたが、それがタッグマッチで木村政彦が負け役をやらされていたり、それに木村が不満を感じていたり……。
 そして、やってくるのが木村対力道山。これについては本書を読まれたい(って、Wikipedia先生を読んだ人もいるか)。そして、なぜ「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」なのかを!
 そして、ここにくると、ひたすら木村側の視点で、木村こそが最強であると書いてきた著者にも迷いが生じてくる。戦前戦中戦後の柔道世界を、格闘技世界を丹念に、そしてズバズバと案内してくれた著者にためらいが出てくる。そう感じさせる。試合当時の報道や証言を詳細に集める一方で、さまざまな現代の格闘家に試合の映像を見てもらい、感想を聞き……。

 ここまで書いて、私は迷っている。
 ここから先、何をどう書いたらいいかと。

 こう率直に語る。ここにしびれる。そして、出した結論は……! 本書を読まれたい。しかし、言っておけばおれも本書を読む限り、著者の結論に同意する。格闘家は、いついかなるときも勝たなければいけない……! そしておれは、おそらくネット上で見られるであろうその試合を見ることができないでいる。
 ああ、なんだろう、ろくに柔道も格闘技もプロレスも知らないのに、なんでこんなに引き込まれてしまったのだろう。まだまだ読み足りない、書き足りないの気持ちであふれている。そして、格闘技を観たいとも思う。本書に名前の出てくる石井慧、こないだのミルコ(まだ現役だったの?)戦とかどうだったの、とか思う(ネットで情報は拾えるけどね)。ああ、またなにか地上波で馬鹿みたいに総合格闘技やる時代こないもんだろうか。いや、おれが観たいのは異種格闘技だろうか。いずれにせよ、とりあえず今日はこれで。

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