ヴェルナー・ヘルツォークはなぜクラウス・キンスキーを殺さなかったのか『キンスキー、我が最愛の敵』

キンスキー、我が最愛の敵 [DVD]

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 撮影が終わる頃、先住民族が言った。
 「あなたのためにあの男を殺しましょうか?」

 「サッカー日本代表の監督と名前が一緒だから」という理由で『アギーレ/神の怒り』から見はじめたヘルツォーク=キンスキーのタッグ。見続けていって、とりあえずのゴールはここにあるだろうと思ったのが本作である。キンスキーの死後に撮られたドキュメンタリである。タッグの名シーンを差し込みつつ、撮影時のエピソードが語られる。たとえば、上のような言葉が語られる。キンスキー、神の怒り。暴君。発作的な激怒。この拳銃には9発弾が入っている。撮影を放棄して帰るというのなら、8発をお前に撃ち込んだあと、残りの1発で自殺する。そんな話。まさに最愛の敵。
 と、そのキンスキー、おそらくは精神疾患の病名のつく人間。そう思わざるをえない。そして、長女への性的虐待。待ったなしで刑務所行きの人間。ときに「野生の熊」のような温かさがあったというが、そういうものだろう。それゆえの怪優といってはPCだろうが、本人が好むと好まざるとクラウス・キンスキーはそういう人間でしかありえなかった。そのような言い方が貶めになるのか弁護になるのかわからぬが、そんなふうに感じた。
 しかしまあ、『ヴォイツェク』を除く各作品を観てきたわけだが、本作で見せられるその断片、断片のいいことといったらない。「あれ、こんなにいいシーンだった?」てな具合。おれには長すぎたんじゃないのか。あるいは、いきなりこれを観ても満腹になるかもしれない。言い過ぎかもしれない。
 そしてまあ、なんというのだろうか、怪人に手を焼いた映画監督という感じでなんか言ってるヘルツォーク、あんたも相当に狂ってるにちげえねえなあ、たぶん。たぶん、そうにちげえねえと、そう感じないでもない。画面の上ではあまりそう感じさせないが、やっぱりあんたもヤバいやつだよ、そう思ったのだった。
 ……と、このあたりで、とくに映画にも映画史にも映画芸術にも明るくない人間のヘルツォーク=キンスキーめぐりは終わりとしよう。それぞれまた会うこともあるかもしれないが!(キンスキーひねりで)

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