突然だが、「前田智徳の榎本喜八化」と書いてみれば、いくらかのプロ野球ファンに通じるところがあるかもしれない。そして、今となってみれば「前田智徳の榎本喜八化は杞憂に終わった」とも言えるだろう。
というわけで、前田はともかく、伝説の榎本喜八の本を読んだ。まあべつに榎本喜八のことを知りたければ、Wikipediaでも十分かもしれないが。
- 作者: 松井浩
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つまり、稲尾は右肩の上に現れた印を目安にして内外角のコーナーいっぱいにボールを投げ分け、絶妙のコントロールを誇っていというのである。
そんなあんた、マンガみたいな?!
とにかく、この榎本の一代記には植芝盛平翁を始め、藤平光一先生に羽賀準一師匠、そして、この稲尾とまるでマンガのような話が多い。しかし、これは梶原一騎という天才的な原作者によって創作された『巨人の星』のような架空の物語ではない。いずれも現実の世界に起きたことであり、本人やその目撃者によって証言されていることである。
そうなのだ。まるでマンガみたいな? というエピソードが少なくない。植芝盛平なんか次のとおりだ。荒川というのは、榎本喜八を育て、言わずと知れた王貞治の指導者であった荒川博である。
野球のことは全く知らなかった植芝盛平翁が、野球とはどんなことをするのか見せてほしいと言ってきた。それでバッティングのフォームの格好をして説明すると、盛平翁は、
「荒川さん、木刀でひっぱたいてみろ。オレが受けるから」
と言った。そう言われて、荒川はまた困ってしまった。
壁にぶつかっているとはいえ、荒川はプロ野球選手である。木刀を振り回して、有名な先生にケガでもさせては大変なことになる。しかし、その一方で有名な先生がそう言っているのだから、手加減するのも失礼なのではないかと思った。瞬時に、いろんなことを考えた末、荒川の直感は「なるようになれ」だった。
「手加減なしで、思いっきりひっぱたいてやろう、後はどうなっても知らないよ」
そう思いながら、荒川は木刀をバットのように力いっぱい振り回した。次の瞬間、荒川の握っていた木刀が、パーンとはじき飛ばされていた。そして、シーンと静まった道場に、コンコロコーンコーンという音が響いた。呆然と立つ荒川の後方に、ついさっきまで荒川の握っていた木刀が転がっていた。
荒川はもう一度試してみて、もう一度同じ結果に終わった。なにそれ、達人は保護されていない! というかもう、このあたりは『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の世界といっていい。その植芝盛平翁の一番弟子ともいえる藤平光一に学んだのが榎本喜八であった。最初の出会いなどが詳細に記されている。「臍下丹田」、「重みは下」。榎本喜八の神髄である。
が、なんというか打撃の天才求道者・榎本喜八というイメージばかり先行させて読み始めると、人間・榎本喜八の姿に意外な感じを受ける。
「三割打ちたいというのが、榎本喜八の夢だったの。先輩には『三割打つと、給料が上がると思っていやがる、このバカが』と思われていたみたいだけどね。三割打って、お月給上げていただいて、おしんおばあちゃんの葬式は日本瓦の家からだしてやりたいというのが夢だったの。お父さんが戦争に行って、お母さんが亡くなって、ほんとに苦労かけたからね」
雨漏りのする貧しい家に育ち、なんとか先輩の伝手を頼りプロの世界に入り、世話になった祖母に恩返しをしたいという思いの強さ。これである。そして、さらに結婚して家族ができればそれがプレッシャーにもなる。そう、決して榎本喜八は一心不乱の求道者ではない。俗世のあれやこれやに悩んできた一人の人間である。一人の弱い人間である。その中にあって、異常なまでの練習量と合気道との出会いがあり、神の領域に近づいていったのである。イチローよりも早く一千本安打を記録したのである。数々の名投手、名捕手がおそろしい打者としてその名を一番に挙げるのである。
一方で、奇行は奇行で奇行なのである。満足のいかないときはカエルを袋に入れて木に吊るして空気銃で撃ったり、家のガラスを叩き割ったり、猟銃を持って部屋に立てこもって呼び出された荒川が部屋に入ると頭の上をズドンとやったり、これら実話であるという。
これはおれの勝手な想像ではあるが、榎本という人は双極的な人物、わかりやすく言えば躁鬱的な人物ではなかっただろうか。病理的にどうこう言えるわけじゃないが、その性格、性質としてである。双極性障害のおれはそう思う。非常に繊細な一方で、大胆になにかやらかす。感情の起伏といい、なんかそのような気がしてならない。抑うつ的になるだけの人間ではなかったからこそ、奇行もあったにせよ、ある高みまで至ったのではないかと。あらためていうが、おれの想像である。
さて、伝説的な打者として名を残すも、引退後は一切球界に関わらなかった榎本喜八である。本人はコーチになりたかったという。だが、奇行を敬遠した野球界からは声がかからなかった。これは大変残念なことのように思える。野村克也が現役引退時にノートを焼いてしまった以上の損失にも思える。が、一方で、はたして榎本の臍下丹田の技術というか領域というか、そういったものが若い選手たちに伝わったものだろうかとも思えるのである。
榎本の目指したバッティングとは、いかにバットをコントロールしながら素早く振るかということに集約される。そのためには全身の筋肉が脱力し、自然体になる必要があった。「臍下丹田」は、その自然体になるためのスイッチのようなものだった。さらに、自然体とは、身体のありのままの作りと機能に忠実に動くことであった。身体のあるがままの作りの機能とは、地球上に人類が誕生してから、人類へと進化する約三十数億年の間に獲得してきたものである。
ときどきおれは想像したものである。引退した前田智徳が人々の前から姿を消し、どこかの山にこもる。オフシーズンになると、バッティングに悩む若い選手がそこを訪れ、打撃の神髄を伝授される……。しかしまあ、そのようでない前田を見られてよかったようにも思う。して、榎本のもとを訪れる人は居なかったのだろうか? あるいは同じ荒川道場組の王貞治は、その指導者としての間に合気道の打撃をだれかに伝授しなかったのだろうか。たとえば松井秀喜であるとか……。どこかに、スポーツ科学以外のところにある「打撃道」が日本プロ野球に生きていてほしいと願うのは、ちょっと無理あるだろうか。以上。
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