カー2/神林長平『魂の駆動体』を読む

いや、それよりもカーを運転する楽しみというものが味わえるというものだ。免許をとったおれは家のフォルクスワーゲンのセダンを毎夜意味なく走らせたものだった。カーには運転する喜びがある。そこにどれだけの意味を見出すか、あるいはどの程度の人がそれに肯くかはしらないが、それはたしかに存在するのだと思う。カーをドライブするファン。

カー - 関内関外日記

 おれはカーのドライブにファンを見出したことのある人間だ。自分のカーを所有したこともないし、とうぜん改造したことも、峠をせめたこともない。ただ町中を普通に運転する、それで面白かった。そして、おれの魂はいつだってミニに乗って奥湯河原に向かって女と一緒に走り続けている。

魂の駆動体

魂の駆動体

人々が意識だけの存在として仮想空間へと移住しはじめた近未来。養老院に暮らす「私」は、確かな生の実感をとりもどすため、友人の子安とともに理想のクルマを設計する。いっぽう遙かな遠未来。太古に存在した人類の文化を研究する翼人のキリアは、遺跡で発掘された設計図をもとに、あるクルマの製作を開始するが…。機械と人間の関係を追究してきた著者が、“魂の駆動体”たるクルマと自由な精神の解放を謳う現代の寓話。

 というわけで神林長平『魂の駆動体』である。個人がカーを所有するということもなくなり、カーのすべてが移動のための公共システムになった時代。そこで老人二人が理想のカーづくりにとりかかる……。
 とはいえ「寓話」が何を意味するのかよくわからないが、老人二人がはじめに手掛けるのがリンゴ泥棒である。そしてこのリンゴ泥棒一つにしたって理屈っぽい。おれは『戦闘妖精・雪風』シリーズくらいでしかこの著者を知らないが、これぞ神林節といったところだろうか。当然、カーの設計にしたって歴史からその思想、理念、具体的な部品とぶっこんでくる。ちょっとしんどいが、嫌いじゃあない。そして、一貫して「クルマ」を求める魂に溢れている。

「いま、がいい。いま欲しいクルマだ。自分で運転できてどこにでも行けるやつだ。エンジンの鼓動でクルマの状態がわかり、自分が操っていることが実感でき、しかも心地よく、運転自体が楽しくて、目的地などどこでもいい、というやつだ」
「無目的にただ走るだけのクルマか」
「目的はある。運転すること――」

 それでもって、この近未来の老人たちの魂の冒険からはるかな未来に話が飛ぶ。人間は滅び、翼人たちの世界になっている。翼人たちは太古の人間たちの技術を研究している。そんな翼人のひとりが、技術によって「人間」の身体に生まれ変わる……。そして、翼人の技術者や人間を模したアンドロイドなどと「クルマ」を作り始める。
 この遠い未来への飛躍がすごい。この遠い未来編だけで一作品成立していてもいいくらいだ。SFの威力というようなものを感じる。とはいえ、いきなりカーを? たとえば自転車は? と思ったら、自転車から作りはじめる。

「このカーブにはどのような機能があるか、わかるかい」
「わかります」
 こともなげにアンドロギアが答えたのでキリアは拍子抜けした思いで、では説明しろ、と命じた。
「それは、旋回時のハンドルの操作感を向上させる働きがあります。キャスター角とトレールが関与しています」

 前ホークのカーブについてである。キャスター角? トレール? うむ、わからん。が、一つ一つの課題をクリアしてものを作っていく。ものを作っていく人間の魂を追う。
 そうだ、この作品には人間と機械(「クルマ」)との有り様のほかに、人間と技術、技術というよりはもの作りというものが描かれている。正直、完全に文系で、自分の自転車の調整すらおぼつかないおれにはわかりかねる領域ではある。でも、そこにはそういうものがあるだろうとは思う。思わせてくれる。SFの仕掛けがあって、その上でそういう強度がある。魂がある。

 うまくいく瞬間というのは、きっと自転車に乗るような、身体の一部になっているかのように感じる瞬間だろう。だけど、決して自分の身体ではないんだ。自分でないものが、自分と一体化する瞬間というのは奇跡的だ。それを求めているんだ。

 でもっておれは、やはりカーをドライブしたくなってきてしまった。カーを所有したいというのは夢のまた夢すぎて想像はできない。それでも、おれは死ぬまでに再び一度でもカーをドライブする機会があるのだろうか? あればいいようにも思うが、大事故を起こしたりせず、あまりカーに悪い印象を持たないまま一生を終えるというのも悪くはないのかもしれない。

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……だからミニというそのクルマが好きかというと、私は一度だけ乗ったことのあるそれを思い出し、あんな重いハンドルで乗り心地の悪いクルマには二度と乗りたくはないと思うし……

 とか本書でも言われてて、やっぱりハンドル重いんだな、と思った。

 ま、客観的にいって二度と運転しないほうが社会のためなのだけれど。