フィリップ・K・ディック『ヴァリス』[新訳版]-あるいはディックはなにから読むべきか

 新訳では、神学的な議論だけでなく、特に登場人物の日常会話や一般行動の記述について訳の精度を高め、ファットとフィルのバランスを回復させようとした。小説内に閉じ込められ、自分のファット化を見守るディックの悲しみと恐怖、もといディック自身に対する戸惑いを、感じ取っていただけることを祈りたい。
「訳者あとがき」

 去年今年貫いて読んでいた本は三冊くらいあるが、そのうちの一冊が新約……もとい新訳版の『ヴァリス』だった。おれは『ザップ・ガン』からディック、あるいはSFに入った(よくそんなところから入れたな)人間だ。もちろん旧訳で『ヴァリス』も読んでいる。
 翻訳者のオカルト神学モードもあって、なにかもうとんでもないところに行っちゃったな、という一作だった。神学論についてはようわからんが、ただ、それでもなんとかディックの喪失の悲しみと死んだ猫についての悲しみについてだけは拾えたような気がしていた。あとはもう、なにかよくわからない神学論の本、行ってしまった本として、サンリオ文庫の素敵な装丁とともに押入れのどこかに入れてある。
 さて、その新訳である。あとがきから読んだ。読んでみて、「別訳が出たからって読みなおすことはない。その時間を新しい本にあてたい」と思う傾向にあるおれも、「ちょっとこいつは読んでみるか」という気になったのである。さすがは山形浩生、V8! V8! だ。
 というわけで、冒頭に引用した、ホースラヴァー・ファットとフィル・ディックの関係性の回復というべきか、分離というべきか、そのあたりは非常にうまくいってるし、何よりなんというか、普通の(SF)小説として読めるのだ。なんだろう、たとえが合っているかどうかわからんが、『EVA』のテレビ版・旧劇場版と新劇場版の違いとも言おうか(新劇版もどっか行っちゃってる感あるけど)。旧訳版『ヴァリス』ではなんとなく埋没してしまっていたかもしれない、なんでもない、あるいはどうでもよさ気な会話が生き生きとしている。……って、旧訳を読んだのもそうとう前なんだけど、そういう印象がある。この新訳版、旧訳版を読んだ人、旧訳版が好きな人、あるいは嫌いな人、放り出した人、目を通してみて損はねえぜ、と思う。そしてもちろん、旧訳版もたまらん魅力があるんだぜ、といいたい。

ヴァリス (創元推理文庫)

ヴァリス (創元推理文庫)

 が、『ヴァリス』? フィリップ・K・ディック? という人にいきなり勧められるかどうかは、正直わからん。なにせ、訳は違えども『ヴァリス』は『ヴァリス』なのだから。「ああ、パルメニデスね」とか、「グノーシス主義とは」とかそのあたりがわかってる人ならいいかもしらん。しらんが、そうでもないよ、という人にいきなり読ませてP.k.D.全部を放り出されてはもったいないように思える。
 じゃあ、なにから入ればいいのさ? というと、映画『ブレードランナー』原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』あたりが無難か? 『ユービック』や『パーマー・エルドリッジの三つの聖痕』あたりをいきなりぶっこんでもいいかもしれない。
ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

 いやいや、ディックに入るなら処女作から、というのもいい。 つーか、どうでもいい。短編の名手でもあるから、短篇集から入るのも正解だろう。あるいは、なぜこれの新訳を出したのかしらんが、『ザップ・ガン』からでもいいよ、もう! おしまい!

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(↑魚はイエスの象徴であり、ドゴン族の神様を指してもいる)

……あれ、これの映画化って話どうなったんだっけ。

……このあたりも十分面白いよ。

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

……これを忘れちゃいかんか。これの映像化、Amazonプライムビデオ、早く日本版を!