おれは双極性障害という診断名をつけられている。医者は「病名をつけるためにやってるわけじゃない」と言っている。おれにジプレキサを処方するために、そして、ジプレキサが合うために「双極性障害」という名がつけられている。おれはそう解釈している。おれはなんらかの脳の病を抱えていて、とりあえず「双極性障害」ということになっている。そういう理解である。
とはいえ、それもおれが双極性障害ではないという理由にはならない。おれは双極性障害、すなわち躁うつ病かもしれない。ゆえに、躁うつ病について学ばねばならない。躁うつ病とつきあわねばならない。
- 作者: 加藤忠史
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 2013/03/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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して、この本は実例を多く取り上げた、躁うつ病のエピソード集といえる。おれが双極性障害だとすれば軽い2型だろうが、1型の要入院の例が多く出てくる。「おれはここまでではない」ないし、「おれは双極性障害だろうか」という思いは浮かぶ。正直なところである。いやはや。
ちょっと気になったところをメモする。
……研修医時代に指導医の先生から言われ、強く心に残っている言葉があった。
「いかにも心因に見えるときは、身体の病気を疑え。いかにも身体の病気に見えるときは、心因を考えよ」
おれは医者でもないが、なんというか、腑に落ちると言ったら変だが、そういうこともあるのだろうなと思ってしまう。人間のだるさなどは内臓の不調や、関節の痛みからくることもあるだろう。一方で、呼吸の苦しさや内臓の異変が脳の誤作動であることもあるだろう。人間は心身相互の存在だ。医者にとっても当事者にとっても厄介なものである。まあ、おれもそんな人間の一人であって、生きるのは厄介なことにほかならない。
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