プロ野球 野村克也さん死去 84歳 戦後初の三冠王 | NHKニュース
プロ野球で戦後初の三冠王に輝いた名キャッチャーで、監督としても日本一に3回輝いた野村克也さんが11日、虚血性心不全のため亡くなりました。84歳でした。
ノムさんこと野村克也の訃報。びっくりしたと同時に、なにかをすっかりやり終えた人間の大往生という気にもなった。とはいえ、おれは野村克也の現役時代を知らぬ。おれが知るのは名監督としての野村克也であり、名解説者としての野村克也、ノムさんである。
そんなノムさんの話を読みたくなった。おれは押し入れから近藤唯之の本を文字通り引張だした。近藤唯之といって、どれだけの人間がわかるだろうか。おれにはわからん。たとえば、山際淳司といえばその筋の人間が「おお、山際淳司よな」と思うだろうが、近藤唯之といえば、「見聞きしてないことを見聞きしたように書く、サラリーマンの悲哀よな」ということになってしまう。
まあいい、『勝負師語録』と『プロ野球 遅咲きの人間学』の二冊を引っ張り出したが、野村克也についての記述が多いのは後者なので後者から引用しよう。
昭和47年9月28日、西京極球場で阪急対南海25回戦が行われた。4回、野村は水谷孝投手から左翼席43号本塁打した。これだけなら特別の意味はない。だがこの34号は野村にとって550号という、区切りのいい本塁打になった。
試合のあと、共同記者会見が行われた。
「私が18年をかけて本塁打550号を打てたのも、丈夫な体に生んでくれた母親のおかげです」
私はこの名語録を耳にしたとき、本当に涙がこみあげてきた。プロ野球選手、大相撲の力士、プロサッカー選手――みんな想像をこえるほど、頑健な体の持ち主である。やっと平均的な体力しかない私にとって、こんど生まれて来るときは、彼らのような体が欲しい。頑健な体力こそは人間最大の宝物だろう。
だが頑健な男ほど、あまりその頑健さに感謝しかないのだ。だからそういう丈夫な体に産んでくれた。母親に感謝する度合いもすくない。生まれつき病弱な同僚に向かって、頑健な男は病気で気合で治せなどとわめく。
ところが野村はきちんと母親への感謝の気持ちを話している。
実際に取材していたわけではない、「この名語録を耳にしたとき」だ。語録とは耳にするものなのだろうか、というのはともかく……って、近藤唯之の話になっちまうな。とはいえ、野村克也はその頑健な体で最初からめきめき頭角を表したわけではなかった。それどころか、一度戦力外通告を受けている。
野村は鶴岡一人監督の前で正座して直訴した。
「あと1年間、私にユニホームを着させてください。あと1年間、私を使ってください。“壁”でいいのです。このままでは郷里に帰れません」
野村のいう壁とは、ブルペン捕手を意味する。くる日もくる日もブルペンで投手のボールを捕球する。ボールを壁にぶっつけるとハネ返ってくる。ブルペン捕手とはそういう意味でつけられた。大エースから見れば、ブルペン捕手なんてボールをハネ返す、ただの壁なのだ。人間で同一チームにいる戦友だとは思っていない。壁とはそういう意味もふくんでいる。
鶴岡が球団を説得してくれて野村の首は1年間先送りされた。ところが運命の3年目、野村は試合数129、打数357、安打90、打率2割5分2厘、本塁打7、打点54、南海の中軸にのし上がった。
とはいえ、鶴岡の野球観と野村の野球観には大きな違いがあった。大恩人の鶴岡の野球を否定せずにはおられぬ。義理と人情と勝負勘の野球と、いわゆる後の「ID」野球との違いである。このあたりは、だれか詳しいやつの書いた話でも読めばいいんじゃないだろうか。野村は鶴岡の葬式に姿を現さなかった。
最後に、伝説の「ささやき戦術」について述べよう。
昭和40年、日本シリーズで巨人と南海が顔を合わせた。その第一戦の第一打席で野村は王貞治に話しかけた。
「あれ、王(ワン)ちゃん右足のあげ方、わざと低くしたの――」
第二打席、こんどは王のほうから野村に声をかけてきた。
「野村さん、右足はいつもと同じつもりなのに、野村さんの眼には低く見えましたか――」
純情な王はもう心理戦の内に誘いこまれていた。野村は同じ戦法を長嶋にもつかってみた。
「ミスター(長嶋の意)、バットの先端がよく回って気分がよさそうに打ってますね」
すると長嶋はこういう返事を返してきたそうだ。
「ノム(野村の意)さんよ、フグの本場、下関ではフグといわないでフクという。“フク食べるとフク来る”と思うだろう。だけど違う。“たらフク食べて金もうける”なんだ」
この日以来、野村は二度と長嶋にささやき戦術を用いていない。野村の感性は王には通用しても、長嶋の感性には通用しないのだ。
いずれも昭和野球伝説の話である。今どきはAIやバケツを蹴ったりして野球をしているという。達川が引退してからも長い。ささやき戦術を駆使する捕手はいるのだろうか。しかしもう、そんな悠長な時代でもないのかな、などと思う。それはそうとて、おれはおれが見てきたノムさんについて語り継がねばならない。そのソースが、信用ならない近藤唯之のものだとしても!